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まほろば国立歴史資料館休憩処 まほろび庵
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まだ死んでない!  投稿者:マルス館長 投稿日:2013/05/01(Wed) 00:29 No.599
管理者用 29日から仙台に入りました(*^O^*)。
初日から大流血です・・・(゜◇゜)。







ここんとこダークツーリストと化してましたが、並行してグレイブハンターも復活させますよ。

まぁどうなる事やら。
請うご期待(^_^;)。





Re: まだ死んでない!   - 2013/05/02(Thu) 12:48 No.600

御無沙汰しておりますm(__)m
なんと、仙台にいらしてましたか!
宮城はほとんど戦場にはならなかったけど、各家臣の知行地ごとになにかしらありますのでなにげに量だけは豊富です。

明日からの連休後半は秋田を攻めようかと思いましたが、天候がよろしくないらしく、急遽新潟方面に切り替えました。

仙台レポ楽しみにしております(^_^)




Re: まだ死んでない!←良かった〜〜♪  JUNE - 2013/05/02(Thu) 22:36 No.601

おぉ!!館長の季節到来ですね。
温かくなってきたもんね(*^_^*)

ご無沙汰です!久々の私的ネットを開きました★

伊達様ですね。グレイブハンターは館長の真骨頂^^;
お元気そうで、楽しんでいられて(?)私的にもかなり嬉しいです。

この掲載は次元と時代が違いますのでご了承下さい。

館長と『八重の桜』について
いつかお話をしたいとずっと思いあぐねておりましたので
今夜も酔っ払いにてはせ参じました。
(龍馬が前面には出演していなくても良い感じにちょろっと
出ていました^^;)

今回の大河は久しぶりにはまっています。

『八重の桜』はキャスト、音楽、ストーリー。
とても心に響き、毎週必ず涙がでるシーンがございます。
私奴は、毎週2、3度観ているほどです^^V

館長の以前の会津レポートも素晴らしく感動した事もあり
大河の思い入れはかなりなものです。ありがとうございます。

やっぱり、「会津」は大好きです。
白虎隊や西郷頼母やら・・その他いろいろ。いっぱい!

そしてどの時代の物語りも、
沢山の場面で現地に行けない私奴は
館長のレポートにいつもいつも感謝の連続でございます。

いろは丸の石炭や、ドキュメント当日の高野山レポート、
戦艦大和の現地レポート・・・私奴が
いきなりぶっ飛んでだ五島列島や、長崎や、
東京でのグレイブハントも全て館長の影響で
それがとても思い出深い物で宝物です。
この場をお借りして感謝感謝です★

仙台、たっぷりお楽しみ下さい。

館長がお元気でご活躍を知り、とてもとても
嬉しい限りです。

かなりの乱文で失礼致します。











応援ありがとうです。  マルス館長 - 2013/05/04(Sat) 00:40 No.602

管理者用 竹様、JUNE様、ご無沙汰しております。

一昨年は会津若松と二本松、昨年は一関・陸前高田・気仙沼・南三陸町・仙台と巡り、3年連続で東北となりました。

名古屋からフェリーで仙台に着いたのが29日の夕方。なので大流血するしかなかったんです。問診の先生が「今から遠くまで走ったりしませんよね?」としつこく聞かれ、「絶対走るな!」と念を押されました(^_^;。

30日は仙台市立博物館で若冲と黒漆五枚胴具足(要は政宗公の鎧)を見てから、去年大雨で綺麗に撮れなかった政宗公の銅像撮りに青葉城へ。
そして久々のグレイブハント!。
仙台藩といえば但木土佐さん・玉蠹左太夫さんには会いたいなぁ・・・。

ってことで葛岡霊園へ(^O^)v。これ実は竹様情報なんですよね。
でも・・・着いた瞬間眩暈がして倒れそうになりました。
明らかに血が足りない・・・。流血の影響が出た・・・。

じゃなくて・・・何なのよあの御墓の数はよ〜。一体何万基あんだよ〜!!。時間もすでに15:30・・・。

とりあえず竹様の地図を頼りに何とか辿り着きましたとも!。帰ったら御礼に伺おうと思ってましたが、この場にて厚く御礼申し上げます。

そして玉蠹さんに会いに保春院へ。こちらは割とすぐに見つかりましたが、ここで時間もすでに17時過ぎのため撤収です。

1日・2日は石巻→釜石→大船渡市→陸前高田市→気仙沼市→南三陸町→一関と大移動!。
しかし雨は降るは、異常に寒いわで、とうとう殉職かぁ・・・って本気で怖かったよ。

で、本日より後半戦(*^O^*)。
一関から二本松へ移動し、2年前行けなかった所を巡りました。
震災から2年経つのに、倒壊したままの墓碑もあり少々難渋しました。

そして明日はJUNE様ご期待の「八重の桜」にちなむ場所に行くことになるのかなぁ?。
あとは5日に白河かなぁ?とか考えております。


竹様新潟ですか。
また朝日山かなぁ?。それとも金谷山かなぁ?。結果を楽しみにしてます。

JUNE様、「八重の桜」はなかなかいいですね。特に坂本さんを特別扱いせず、出たのは名前と家紋だけという媚びない姿勢に感心しました。

で・・・私的ネットって何なにナニ???。

じゃあ明日も早いんで今日はここまで。
次は8日くらいに書きます(*´∀`*)ノ。




あはは(*^O^*)  マルス館長 - 2013/05/05(Sun) 22:34 No.603

管理者用 「八重の桜」見てたら、最後は小峰城と霞城だったね。
小峰城は今日行ってきたとこだから思わず笑っちゃいました。





Re: まだ死んでない!  JUNE - 2013/05/05(Sun) 22:51 No.604

JUNE様専用



「夢野久作と杉山三代研究会」のご案内  投稿者:杉山満丸 投稿日:2013/01/24(Thu) 09:15 No.598

http://www.facebook.com/kyuusakudoguramagura?ref=hl
「夢野久作と杉山三代研究会」
のご案内・申込書などについて、facebookに掲示させて頂いてから時間が経過しましたので、再度、掲示させていただきました。いつも見ることができるところに貼り付けられたらいいのですが、不慣れなために、申し訳ありません。週に1度くらいの割合で掲示していきたいと思います。発表希望者の方は、発表用紙をワードの文章1000字程度にまとめて戴き、事前に提出して戴くことになりました。会の円滑な運営のために、どうぞご理解とご協力をお願い申し上げます。

「夢野久作と杉山3代研究会(仮称)」
○設立総会及び第1回研究大会開催要領   http://yahoo.jp/box/-hBoQg
○参加申し込み書(修正版/2012・12・26)http://yahoo.jp/NGS_h2
○チラシhttp://yahoo.jp/YtlIDp
○「夢野久作と杉山3代研究会」規約(案)


禁門の変について調べています  投稿者:sifuso 投稿日:2013/01/08(Tue) 04:41 No.589

はじめまして。山口県宇部市在住のsifusoと申します。

おたずねしたいことがあって、書き込むことにしました。少し長くなりますが、ご容赦下さい。

わが家の隣に福原越後公の屋敷跡があります。また、隣家のご先祖様は18歳で禁門の変に参戦しています。ご先祖様の名前は竹下譲平といい、淀川を敗走中追手に襲われながら辛くも逃げおおせて、11年後に隠れていた奈良から帰郷し天命を全うしました。

ひょんなことから竹下譲平のことを調べて見る気になり、地元の護国神社にある福原勢の墓をチェックしたり、ネットで関連情報を集めている内に貴サイトに辿り着きました。

そこで質問です。

禁門の変関連のお墓の写真の中には竹下譲平のものが見当たりません。京都霊山護国神社には譲平のお墓があるはずなのですが、私の勘違いでしょうか?それとも、譲平は禁門の変で死んだ訳ではないので、あえて外されたのでしょうか?

ご教示頂ければ幸いです。




確かにあります  マルス館長 - 2013/01/14(Mon) 19:57 No.592

管理者用 sifuso様、ようこそいらっしゃいませ。宇部にお住まいなのですね。
長いことお待たせして申し訳ございませんでした。

それでは回答させていただきます。

まず竹下さんの墓碑ですが、霊山には存在します。場所は禁門の変戦死者のエリアです。写真も示しておきます。

ではなぜ竹下さんを禁門の変殉難者から除外しているかというと、まず霊山に墓碑があるのは厳然たる事実です。
そこでもし禁門の変時に桜宮で捕縛され、処刑されたと仮定すれば天王寺にある桜宮殉難者の墓碑群にその名を見出せるはずですが、それはありません。
また竹下さんが属していた福原越後勢の殉難者が祀られる宇部護国神社、sifuso様もチェックされた招魂碑にもその名はなかったことを私も確認しました。
さらに安政元年から明治四年までの長州藩殉難者を記録した「長藩殉難者名簿」にさえ記載されていません。
つまり殉難者であるという形跡が他に見受けられないのです。

さらに『明治維新人名辞典』にはその略歴において禁門の変に参加するも敗れて大坂へ退く途中桜宮で幕兵に拘禁され行方不明、そして「明治八(1875)年11月帰郷し、明治二十三年病死した」とあるのです。そうなると禁門の変殉難者ではなくなるので除外せざるをえません。まさにsifuso様のご指摘のとおりです。

そして墓碑は宇部にあるらしく、法名も「徳誉義山居士」と記されています。ところが実はその墓碑が宇部のどこの墓地にあるのかが明記されていないため、現状その存在は未確認です。そういう事情で「明治二十三年没」とすることもできません。

以上のような状況から、竹下さんについては宇部においてその墓碑を発見して明確に没年が確定するまで置いておくという結論に至った次第です。

このような説明でご納得いただけますでしょうか?。
正直言えば、次いつ宇部に行けるか何とも言えませんので…もしよろしかったらsifuso様の手で竹下さんの墓碑を見つけていただけると…[壁]_・)チラッ。

などとド厚かましい期待もしつつ、sifuso様の調査の一助になるなら幸いです(;^_^A 。





Re: 禁門の変について調べています  sifuso - 2013/01/17(Thu) 05:03 No.594

早速のご回答有難うございました。やはりそうでしたか。

竹下家のお墓は、宇部市にある松月院という浄土宗のお寺の墓地にあります。

昨日、会社帰りに寄ってみました。(←物好き!)

画像にあるように家墓の建立は大正9年です。墓誌の一番左側に刻まれているのが竹下譲蔵さんで、この方が譲平の息子さんです。

墓誌に刻まれた戒名は、大正以降なので、当然譲平の名はありません。

家墓の後ろにある小さな個墓の中に譲平のものがあるかどうか・・・暗くなって来たし、夕方にお墓の写真を撮る姿は、あまりノーマルじゃありませんので、今回はそれ以上の詮索はやめました。

譲蔵さんが私の父に語ったところによれば、帰郷した譲平は自分の名の刻まれた墓を叩き壊したそうです。

京都の霊山に墓碑が建てられた時点では譲平は行方不明で、没年は故郷の墓のものが採用された・・・というのが真相ではないかと想像します。





Re: 禁門の変について調べています  マルス館長 - 2013/01/20(Sun) 13:46 No.595

管理者用 sifuso様、大変貴重な情報をありがとうございます!。

宇部にあるという情報は掴んでましたが、現存しているかどうかが不明だっただけに、わざわざ墓所まで確認していただいたこと感謝いたします。あとは譲平さんの墓碑があれば確定です。いずれ行かねばなりますまい。

しかしながら譲平さんはどうやって桜宮から逃げおおせたのかという新たな疑問も浮かんできましたね。何しろ残兵掃討を受け自刃する者も多く、できずに捕縛された長州兵もかなり処刑されてますから、幕兵の探査の目を逃れたのか脱走したのか…。
さらに幕府瓦解後8年も経って帰郷したのはなぜなのか…。現代なら「生きててよかった」と大歓迎でしょうけど、当時の感覚は家名と名誉を命より大事にしてますし、少なくとも戦死と扱われていたならば遺族に御下賜金も出たでしょうから今さら帰るに帰れなかったと考えたかもしれないでしょう。
それを戻っただけでなく、御墓まで破壊して生還を主張しているだけに、戻った理由は知りたいですね。




Re: 禁門の変について調べています  sifuso - 2013/01/21(Mon) 06:01 No.596

譲蔵さんの話によれば・・・

淀川を舟で下った一行は、武器を持たず丸腰だったそうです。そこを追手に襲われたのでひとたまりもなかったとのこと。

譲平がどうやって逃げおおせたか、詳細は不明ですが、彼は駆けに駆けて、ついに奈良の農家の庭先で力尽きて倒れてしまいました。

傷だらけの譲平を見つけたお百姓さんは吃驚しましたが、家に匿って傷の手当てをしてやりました。

ほどなく譲平は回復しましたが、長州は今や朝敵。故郷に帰るに帰れず、仕方なく農作業の手伝いをするようになりました。

そんなある日、農家の主人が譲平に「娘を貰ってくれないか」と話を持ちかけ、譲平はついにその家の養子になりました。(譲平は主人に見込まれるだけの魅力があったのでしょう)

一方、故郷では、消息不明の譲平の帰りを待ちわびていた家族は諦めて譲平のお墓を建てました。(多分、禁門の変の3年後です)

譲平は奈良で平穏な暮らしを送っていましたが、望郷の念やみ難く、遂にある日、妻子を捨てて故郷宇部へ帰りました。

帰って見たら、自分は死んだことになっており、お墓まで建てられていました。お墓を叩き壊した譲平は再婚し、余生を故郷で送りました・・・

というような話なのですが、

淀川からどうやって逃げたのか、奈良のどこへ逃げたのか、よくわかりません。私は生駒方面ではないかと想像するのですが。

残された妻子はどうなったのか。突然蒸発した譲平を捜そうとしなかったのか。合意の上での帰郷だったのか。よくわかりません。

故郷の反応は、「生きててよかった」というものだったようです。恥ずかしい話であれば、譲蔵さんが父に語る筈がありませんから。

松月院のお墓は、その内確認して見たいと思っています。お寺や竹下家(譲平の曾孫は幼馴染)に確認する手もありますけど、大義名分がないとなかなか。ボチボチ調べてみます。




Re: 禁門の変について調べています  マルス館長 - 2013/01/24(Thu) 00:33 No.597

管理者用 なるほど…そうした経緯があったのですね。
合点のいかぬ点もありますが(特になぜ妻子を捨てたのかの点について)、私ごときにそこを詮索する資格はないですから置くとして、故郷が迎えてくれたことは嬉しかったでしょうね。

逃げた場所は状況や距離からして生駒辺りが妥当な線かもしれませんね。でも安全性を考えたら十津川とかも候補に入れたいですねぇ。勝手な想像で済みませんです。
しかし時代に翻弄されたであろう竹下さんの激動の生涯は、それだけで1つのドラマになりますね。
あの時代に散った18000人超のそれぞれの人生。明暗に関わらず光を当てたいです。

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