五月五日
いよいよ最終日。生きてこの日を迎えられたことが嬉しくてしょうがありません。・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。。
って、生きて帰らない事には意味が無いのですけど…。

9時7分
まずは中央公園の由利公正さんの銅像を見に行った後、佐佳枝廻社に行きます。ここは藩祖松平秀康公を松平春嶽公が祀ったことをはじめとし、のちに東照大権現様こと徳川家康公、さらには松平春嶽公も合祀され現在に至っています。

9時50分
続いて福井城内へ。しかしここは現在県庁と福井県警本部があります。庁舎前の道は駐停車禁止なので、迂闊に路上駐輪したままどっか行ったらえらいことなりそうで怖い…。何せ県警本部…福井県警の本丸があるんですからね。
ということで、ゼルで移動しながら、何か見つけるたびに停めて降りてまた乗っての姑息なを繰り返すのがベストかも。
しかし、昭和天皇が昭和八(1933)年10月23日に福井の陸軍特別大演習で大本営を置いた記念に立てられた碑を撮ってるときに、制服姿の警備員と思しき方が近付いてきて…怒られると思ってたら、何と城内と福井の観光地図を渡してくださいました…。ありがとうございましたm(_ _)m!。
おかげ様で城内の様子がよく分りました。

さて、肝心の天守跡ですが…。よりによって県警本部の裏手…。こうなったらさりげなく駐車場の脇に停めて、速やかに任務を遂行するしかなさそうです。

ってことで、県警本部前でエンジン切ったら、またしても警備の方が…。
今度こそ怒られるって思ったら…わざわざ停める場所指示して下さいました。それも県警本部の奥の方…、つまり天守閣跡のすぐ傍です。重ね重ねご配慮いただき、本当にありがとうございましたm(_ _;)m!。

これで大手を振って城址を周れるってもんだい!。

天守台は思ったほど大きくはありませんでした。ただ昭和二十三(1948)年の福井地震で陥没しかけている城壁は間近に見ると結構衝撃的でした。

それ以降城壁見てると、所々歪んでいるのが分るんですよ。

10時5分
さて、その次はとりあえず、勝家&お市様の墓碑を訪ねて西光寺へ。

さらにそこから歩いて2分ほどの左内公園へ♪。

前日逆光だったので、撮り直ししました。

11時20分
何と7日間の行程の中、最初で最後の昼食なるものにありつけました。「石挽き そばの実」にて、もう一つの福井の名産、おろしそばを堪能しようってことなんです。
さすがにこれは初めてなので、どんなものかと思ってましたが…

あっさり系ですね。
そばの風味の楽しみ方として

※そばのみを食べる
※薬味を少々付けて
※ツユも付けて
※全体を静かにまぜて

と壁に貼ってありました。
なるほど…そういう作法なんだ…。
でもあんまり試さずさくさくさくって食っちゃいましたよ。張り紙に気付くのが遅かったから…。
大根おろしがさほど辛いものではなく、あっさりさっぱりで、これからの季節にはいいですね。ただ如何せん、京都じゃそうあちこちで食えないかも…。

さて、食べ終わって精算してると、レジのおばちゃんが一言…「京都からですか?」。

いつ見たの?!。そりゃヘルメット持ってるからライダーだってわかるでしょうけど、おばちゃんはいつ外に出て見たの?!。ずっと店内にいたような気がしたけど…。いずれにしても、もう言われるのもこれが最後でしょうね。

さてさて、それじゃ光秀公の挑戦を受けましょうか。
正直どこにあるのかもよく解らんけど…。
ハマーン様に怒られながら向かってると…案外朝倉家の居城・一乗谷に近いのかな?、何度も看板見ました。

12時25分
東大味町に着いてはみたものの、さてどこにあるんだかあけっつぁま…って看板あったぁ〜!。

意外にアピールしてるじゃないですかぁ。
案内通りに進むと、何とも表現しにくい微妙な場所にありました。なるほど畑の合間にある祠といった風情で、これが天下にその名を轟かす明智日向守光秀公のものとは思いもよらないでしょうですね。
まぁ静かで誰もいなくてねぇ。『最近は若い女性も目立ってきた』って人っ子一人いないじゃん。騙されたよ…。そういえばこの一週間…まったく全然いなかったねぇ…。やはりあれは都市伝説でしかないのでしょう。

で、気を取り直してお参りいたしました。まぁ新聞読んで急遽来たくらいですから、何があるのかよくわかってないのですが、とりあえず祠は…しょぼい…。
何しろおおっぴらに祀ることができなかったという歴史的背景があるのですから、当然なんですよね。
祠の脇には首なし地蔵他並んでます。何だか神仏混淆なのね。他に駒札やら立ってましたが、とりあえずそんなの撮ったりしてました(※)

ただ資料館まで併設されてるとは思いませんでしたよ。中は主にパネルで構成されてます。

見てたら外で話し声が聞えてきました。誰か来たようです。ちょっと期待しましたが、お歳召した御夫婦で、あっさり期待は…ね。

全部見終わって、ゼルに乗る準備してると、先の御夫婦も戻ってきまして、突然、「京都からですか!」。
油断した…。もう無いと思ってたのに甘かった…。

13時1分
一乗谷朝倉氏遺跡到着。時間的にここが最後の訪問地でしょう。あんまり長居をすると帰省ラッシュに巻き込まれますからね。
しかしここが思っていたのと全然違うんです。
館跡がある程度に思ってたら、町ごと遺跡なってるんですよね。感じとしては飛鳥というか太宰府というか、まぁあちこちにいろんな建物跡が点在してるんですよね。いちいち見てたらきりが無いんですが…できるだけいちいち見てみました。

で、余の規模に呆然となりつつ時間の関係もあるから、とりあえずこの遺跡はどこまで続いてるのか、その果てを先に確認しておこうと、居館跡を通り過ぎて先まで進んでみますと…どこが果だったのかわからない…。気付いたら目の前に…
小次郎って…話変わってるやん…。

ひとまず戻っていたら、さりげなく石碑が。ここが果てだったんだ。
ってことはここから始めれば、洩れなく全部見られるはず。で、左右を気にしながら走ってると…結局戻ってきちゃった…。

さすがに復元城下を見たいとはそれほど思わなかったので、実物の遺跡を飛び回りながら見つつ、いよいよ朝倉館へ。

思ったより狭いですね。あれほどの戦国大名の屋敷だから、西本願寺くらいのスケールがあると思っていたのですが、割と小振りだったようです。それでも十分豪邸といえる面積ですが。しかもまだ上にいろいろあるようで…。

朝倉義景公墓所に行こうかと思ったら妙に人が多かったので、ひとまずスルー。屋敷跡を見ようかと思ったら目の前に階段があったので、とりあえず登って鳥瞰で跡を見てみようと登ることに。結構階段辛いです…。

そこからいろんな屋敷や庭園跡が。
特に諏訪館跡庭園は一風変わっているというか…墓石がこんなところに立っているのはちょっと異様です。正確には後年無理矢理刻んだみたいですけど。

ちょいと離れたところに降りてきたよ…。屋敷跡へ戻らなきゃ。

朝倉神社…きっと風雨に晒されないように祠を覆っているのだと思いますが…この覆いがまた何かしょぼい…。最初横から見てたので、公園管理用の清掃用具でも入れてる小屋だと思ってました…。

二度目の訪問です…。今度は墓所も空いてたので、早速…。

邸宅跡、思ったほどでないと書きましたけど…細々見てるとやっぱり広いのよね…。

それにしてもホントにここは「谷」なんですねぇ。

とっくに14時も回ってますので、そろそろ撤収しないと帰省ラッシュに巻き込まれちゃう。
ってことで、それなりに長かった一週間の遠征のラスト・ランを頑張りました。ちょっと早すぎるから、多賀SAで近江牛は今回見送りだなぁ。

18時
生きて戻ってくることができましたよ。
京都ですっかり馴染んだ好物の豚バラ弁当を食べることができたのが感涙です・゜゜・o(iДi)o・゜゜・。


ということで、これが遠征の締めでした!。

で、今度は夏に向けて動き出さないと。今年はグレイブハントじゃなく、また小倉戦争絡みで動くことになりそうです。



えてしてありがちなことですが…この旅が終わってから、びっくりするくらいいろいろと新潟や福井情報が入ってくるようになったんです。本人が望んでも無いのに…。どいつもこいつも行く前に教えてくれよ…。


 後日よくよく調べたら、どうも祠の脇に立ってる墓碑2基の内、右端のものは光秀公その人の墓碑であることを知りました。碑面には「理言久意信士」の法号と「天正十年六月十三日」の没年が刻まれてます。
なるほど光秀公のご命日と一致します。隣のは文久二(1862)年の銘があるので多分直接の関係は無いと思ってます。
とにかく撮っておいてよかったぁ。