朝から悩んでます…。
かなり懊悩してます…。

新潟に行こうか止めようか…。
新潟には招魂社があって、もの凄く行きたいんですが…ちょっと時間的にきつい…。まして今日は福井へ移動だし…。

ということで、正に断腸の思いで長岡を去ることにしました。

チェックアウトしたのち、即インターに入らず、通り越して不動院の加賀藩士の墓群51基を訪ねました。

不動院

階段を登って墓所へ入ろうとしたその瞬間、思わず悲鳴を声に出してしまいました。
初日にゼルで派手に転倒した時も、六十里峠のスノーシェッド内で雪解け水の直撃食らった時も、朝日山でこけそうになった時も、声一つ上げなかったこの私が…まさかあんなことで…。

シマ公め…
不覚…。冬眠から醒めてやがったんだ…。
とにかく大っ嫌いなんだもん…(〃_ _)σ‖。


いい雰囲気♪


結局柏崎手前の西山インターから北陸道に入り、そこから3時間…相変わらず長い。生まれて初めてフォッサマグナを越えたところを見ましたし、未練を残したままの金沢市街をゼルに乗ったまま眺めました。

福井インターで降りると、速攻給油!。何と今回の遠征で初めてのセルフでした。スピードパス(真っ黒いきのこの里のようなスティックで、ESSOの給油機のパネルにタッチして読み込ませるだけでカード払いができる優れもの)をキーホルダーにつけてる関係でESSOのセルフを利用するんですが、なぜか東日本には無いのかな…まったく見つからずに使えず終いだったんです。おかげで予想以上に現金使うはめになり、懐寒いです…。
とにかく入ってスピードパスを使おうと思ったら…パスをタッチするセンサーが無い…。使えないんだ…。その代わりキャッシュカード入れるスロットがあったんで、仕方なくカード入れました。

給油後どこへ行くか…実は決めてませんでした。元々3月の連休に行くつもりで一応ナビに巡る場所は登録していたものの、巡る順番とか細密に決めてないまま、半ば見切り発車で来てしまったんです。だって元々は長岡から一気に京都へ戻るつもりだったのが、疲労の蓄積とかを考慮してちょっと福井でショートカットすることに決めたのは出発4日前でしたからね。しかも福井はぶっちゃけ京都から日帰りできる距離なんで、それほど重点置いてなかったんです。

そんなわけで、まぁとりあえず…左内さんの所に行こうかってくらいの感じで…左内公園に向います。

14時2分
ホントに公園なんですね。そういえば小浜の梅田雲浜さんの銅像もこんな感じでした。

15歳でこれを書くって…

完全に逆光…。マニュアルで露光補正を行ってはみたもののあんまり満足できませんねぇ。

さて、左内さんの墓所ですが…墓碑は日陰…。おまけにチェーンで接近を制限されているため遠い…。望遠を使うと手ブレの危険性が高いため、12Mの高画質撮影も併用しました。いざとなったらこいつをトリミングしちゃうわけです。

14時9分
莨屋到着。っていっても碑が立ってるだけで、特別見るべきものは無いわけなんですが…。

15時7分
孝顕寺へ移動。ただ目的にしていた鈴木主税さんの墓碑はおろか、墓地すら存在が分らず、今回はおとなしく引き上げました。

15時56分
福井神社に来ました。この行ったり来たりのフラフラした移動経路…無計画さが露呈してます。まぁゼルがいるからできることなんですよね。

福井城

鳥居らしからぬ鳥居

青年春嶽の福井初入国

春嶽政事総裁職に就任

橘曙覧を藁屋に訪れる

橋本左内を明道館学監に登用

コンクリートの鳥居というのも珍しいですが、それに輪をかけて角柱で構成するデザイン、さらには社殿とは思えぬ建築様式。元々昭和十八(1943)年に創建した当初は、総檜造の社殿だったそうですが、昭和二十(1945)年7月9日の福井空襲で全てが灰燼に帰した後、再建するに当って福井大学工学部の設計でこのようなデザインとなったわけなんですが…正直併設の資料館か何かにしか見えない…。

神社内には中根雪江さん、鈴木主税さん、橋本左内さんの幕末福井藩士御三方を祭神に祀った恒道神社が建っています。しかしどうにも倉庫に見えて仕方が無い…。

本殿南側には、福井神社祭神の松平春嶽公の坐像が立っています。その眼は福井城を…福井城のお堀を見つめてるかのようです。

16時27分
柴田神社へやってきました。福井の主といえば、松平家だけじゃなく、戦国の雄・朝倉氏や柴田勝家公などもおられますからね。旧城主にもご挨拶です。 北ノ庄城跡でもあるんですよね。
詳しい説明は各種案内板に譲るとして(長岡のレポとはえらい待遇違うな、オイ…)

休憩棟から鳥瞰

休憩棟というより資料館?


しかし…2010年の大河ドラマ『龍馬伝』は松平春嶽公や三岡八郎さんを抜きにはできませんし、2011年の大河『江〜姫たちの戦国〜』ではこの北ノ庄城も重要な舞台ですし…福井市、大河で丸儲けですねぇ♪。

17時
食事の関係で探査は終了です。
さすがにカニ料理ってわけはないですが、どこに行くかはあらかじめ決められていました。

それは…「ヨーロッパ軒総本店」さん!。
福井の料理で何が有名かって調べたとき、挙がってきたのがソースカツ丼とおろしそばだったんです。
そのソースカツ丼発祥のお店なんです。ただ早く行かないと行列ができちゃうほどの人気店のため、探査を打ち切ってやってきた次第です。

とりあえずゼルを店の横の裏口付近に停めて、ナビはずしたりと支度してると、裏口が開いて若い料理人のお兄ちゃんが出てきました。そして荷物山のように積んだゼルを見て一言…。
今回のレポを初日からここまできっちり読んでくださったお方でしたらもう大体この後の展開は想像つきますよねヘ(^-^ )ィ。

「どこからですか?」

まぁその辺のことは置いといて…長岡から移動してきたことを話したときに、「新潟はしょうゆダレのカツ丼が有名です」って…。そういうことは先に教えてください!(新潟経由の福井着じゃ日程上無理だろ…)。
で、京都は京都で黄檗のパン屋がものすごく美味い、料理人も認めるパン屋だと力説しておられました。『たま木亭』というお店ですが、行った事無い…。でも相当有名そうなのは、調べてよく分りました。

さて、オーダーしたのは大カツ丼(カツ4枚、ご飯大盛り)のセット(サラダ&味噌汁)。
思ってた以上にカツが薄いです。そういえば『美味しんぼ」で『トンカツの肉の厚さは5ミリが限度、それ以上厚いと衣とのバランスが崩れる」ということを言ってましたが、なるほどこういうことなのか。確かに衣の味も際立ってますし、薄くて柔らかくて食べやすいです。
でも個人的には豚の脂の濃密さも堪能したいので、その部分では物足りなさがあるかなぁ。
味は申し分ないだけにそこだけがちょっと残念。ただ厚くすると味が損なわれるのかも。バランス云々よりも、自身の固定概念を変えなければならないようです。

帰り際、店の前には行列ができつつありました。まだ18時前なのに。
あっ、道路には消雪パイプがあるね。

さて、ホテルでチェックインののち、風呂入って憩いの一時を…って思ったら私の手違いで禁煙ルームになってたんです!。しかたないから湯上りの状態だけど、ロビーで一服しようと思ったら…ロビーも禁煙…。
そのまま引きさがるのも悔しかったから(何の意地だ?)、新聞読んだんです。しかも無作為に取った新聞を。
そしたら…


「 主君の織田信長を討って『逆臣』の汚名を着せられた明智光秀を祭る福井市東大味町の『明智神ミ』が、近年の歴史的再評価や歴史好きな女性の増加で注目されている。全国各地からの参拝客が増え、山あいの集翌ノちょっとした“戦国ブーム”が起きている。

 光秀と越前のゆかりは深く、美濃を追われた光秀が朝倉義景に仕え、居を構えたのが一乗谷朝倉氏遺跡の南西にある東大味土井ノ内。後の細川ガラシャとなる三女が生まれるなど、この土地を愛した光秀は、信長の朝倉攻めや一向一揆討伐の際にも、東大味を守るよう柴田勝家らに計らい、戦禍から救ったとされる。

 屋敷跡に住む三軒の農家は、遺徳を忘れず光秀の木像を『あけっつぁま』と呼んで四百年にわたり、ひっそりと守り続けた。明治期には中傷に耐えながゆ祠(ほこら)を建て秘仏を奉ったという。

 農家の子孫の土井内儀太夫さん(84)は、週末や行楽シーズンには多いときで一日約二十人の案内役を務める。年配の男性や家族連れに交じり、最近は若い女性も目立ってきたという。

 『昔は後ろ指をさされたこともあったが、今は全国から多くの人がみえる』と土井内さんは喜ぶ。北九州市から訪れた向畑(むかいばた)一彦さん(69)と妻の妙子さん(60)は『領民思いの優しい一面があったのですね』と感心していた。

 現在は地区住民らによって奉賛会が組織され、狭い敷地内には光秀にまつわる資料館が建てられており、今年も六月十三日の光秀の命日には法要が営まれる。」


なんて記事が書いてあるんですよ。
これは我が国に対する明瞭な挑発行為ですよね。「ここまで来れるもんなら来てみろ」っていう。
それじゃあ行かずんばなるめぇも。
ってことで、正確な所在地を調べたんですが、東大味町までしかなかなかわからなくて…まぁ行ったら何とかなるかと思い、とりあえずナビに登録だけしました。