戸田氏共(岐阜県大垣市・円通寺)
大垣藩主。第十一代大垣藩主となり慶応四(1868)年藩老の輔翼によって反論を勤王に決し、ついで征東軍の先鋒隊となり、藩命を高めた。明治三(1870)年藩政を参事に委して、大学南校へ入学する。翌年岩倉具視の長女と成婚。藩知事を辞してアメリカに留学し、鉱山学を研究した。帰朝後工部省鉱山寮へ出仕。明治十五(1882)年伊藤博文欧州差遣に随行。のち特命全権公使としてオーストリアに駐在。式部長官となり、イギリス皇帝戴冠式に参列した。昭和十一(1936)年2月17日没。享年83歳。
高橋是清(東京都府中市・多磨霊園)
仙台藩士。生後数日で仙台藩士高橋覚治是忠の養子になり、寺小姓になったが、12歳で横浜に出、慶応三(1867)年7月藩費留学生としてアメリカに渡った。奴隷に売られ辛苦し、明治元(1868)年12月脱出帰朝、森有礼の書生となった。曲折を経て大蔵省十等出仕、文部省・農商務省・特許局長のほか、教育界・実業界に活躍、日本銀行に入って総裁、第一次山本内閣の大蔵大臣をふり出しに大正十(1921)年には内閣を組閣、政友会総裁、11月退き護憲運動をすすめ、ふたたび農商務大臣・商工大臣・大蔵大臣を歴任、とくに昭和二(1927)年田中内閣時におけるモラトリアム施行などに実績をあげたが、、昭和十一(1936)年二・二六事件の犠牲となった。享年83歳。
昭和十一年