柴太一郎(福島県会津若松市・恵林寺)
会津藩士。藩主松平容保が文久二(1862)年閏8月京都守護職に任ぜられると、先発として家老田中玄清・公用人野村直臣らに従って上京した。法輪家(三条家)の信任の厚い伊勢松坂の富豪世古格太郎の紹介で三条実美に謁し、その後、実美と容保の間を周旋し、公武一和に尽力した。慶応四(1868)年鳥羽伏見の戦いでは軍事奉行添役として活躍し、会津戊辰戦争では、はじめ越後方面総督一瀬要人の軍事奉行添役として北越に出陣したが苦戦し、越後より会津に転戦、9月15日会津城外の激戦で負傷した。大正十二(1923)年没。享年85歳。
大正十二年