もへい様寄贈
林洞海(東京都文京区・吉祥寺)
蘭医。小倉に生れ、天保二(1831)年京坂遊学、天保五(1834)年江戸に出て足立長雋に就いて西洋医学を学んだ。天保六(1835)年長崎に遊学して大石良英に師事。天保九(1838)年江戸に出て佐藤泰然の薬研堀に寄寓して、「?篤児薬性論」を訳述した。天保十一(1840)年長崎再遊、天保十四(1843)年三たび江戸に出て佐藤泰然の長女つると結婚し薬研堀に医を開業。万延(1860)元年幕府二ノ丸製薬所に勤務、翌年侍医となり、法眼に叙せられた。文久三(1863)年家茂上洛に供奉、のちに徳川慶喜・亀之助に歴任し、駿府に移る。明治二(1869)年沼津の静岡藩病院の副長。明治三(1870)年大学中博士、従六位に叙せられ、大阪医学校長となる。明治四(1871)年1月権大典医に任じ、皇太后付となる。明治九(1876)年四等侍医に任じ正六位に叙せられた。のち退隠。明治二十八(1895)年2月2日没。享年83歳。
町田武須計(三重県桑名市・光明寺)
桑名藩士。18歳で藩主に近侍して大番となり、21歳のとき学校監察に進んだ。慶応二(1866)年幕府征長のとき、藩命を受けて安芸国の戦況を視察した。明治元(1868)年正月の戊辰戦争では幕府軍に投じ同志80余人と共に神風隊隊長となり、越後・長岡・会津に力戦し、のち庄内藩に入り、そこで降伏して桑名に幽閉された。明治二(1869)年許され、桑名藩権大参事・軍務都督に任じ、明治十(1877)年西南戦争にも出征した。のち県会議員・桑名町長となった。明治二十八(1895)年7月18日没。享年58歳。
桑名最初で最後になるであろう2005年5月8日の調査で最初に探したのが町田さんでした。光明寺隣の墓地には十数基の墓碑しかなかったので、案外簡単に見つかるかと思ったのですが…風化のひどい墓碑もあり、どうにも町田さんの墓碑と特定できるものがありませんでした。やむを得ず飽和撮影に踏み切って次の森陳明さんの調査に向ったのですが、そこで桑名のお寺には墓所が2つ以上ある可能性があることを知らされましたので、再度光明寺周辺を調べたら…ありました!お寺の裏手に大きな墓地が!!そこでようやく町田さんの墓碑も確認しました。しかし撮影していて気付いたのですが、町田さんの略歴が正面以外の3面に刻まれているのですが、そのうち裏の部分が剥落して割れたまま傍らに置かれていたのです。それで一応復元を試みたのですが、手間がかかりそうだったので大きな破片だけ組み合わせて略歴をある程度復元して撮影したのち、また元に戻しておきました。
明治二十八年