上野山・彰義隊戦死墓

荒川区・円通寺彰義隊戦死墓
青木徳三郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
秋月虎雄 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
天野正治 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
天利勝興 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年31歳。
甘利貞造 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
有賀大吉 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
飯田鎮三郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
石神金当之助 彰義隊士。徒士。目付から代官。築地海軍操練所出身。彰義隊十六番隊今井八郎手。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年17歳。
石川次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
石河亀太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
市岡甲子太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
市川乕五郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
井出己啓 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
井出己祐 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
井戸操 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
伊藤重三郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
伊藤治郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
井上三恵三 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
上田清之助 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
上村三郎右衛門 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
内田安次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
内忠万之助 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
海野寅太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
江添正太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
海老原国太郎 彰義隊士。元歩兵指図役。元一橋家来。結城戦争で負傷、慶応四(1868)年上野山山王台で戦死。享年63歳(33歳とも)。
遠藤之助 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
遠藤良次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
大川庄次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
大久保忠宣 紀伊守。六千石、大目付。隊客将。慶応四(1868)年5月15日上野山中堂脇で戦死。享年不明。
大久保亀次郎 彰義隊士。大久保忠宣の次男。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。

大久保忠宣の家来 主とともに江戸上野山中堂脇で戦死。享年不明。
大蔵又市 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死(3月15日結城とも)。享年不明。
大谷善三郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
岡田兵衛 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
岡元栄太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
小倉諦之助 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
小沢国太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
織田房之助 高家、陸軍奉行織田対馬守の弟。三百石、練兵頭取。元洋書写字生。上野山で負傷、御霊屋前で自決。享年不明。
海崎寅太郎 遊撃隊士。上野山清水堂で戦死。享年不明。
柿沼忠次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
風間豊景 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
加藤謹一郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
加藤正太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
金子豊三郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
神山吉左衛門 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
加茂達三郎 累進して歩兵頭。砲術に長ず。上野山真如院前で戦死。享年32歳。
川本惣兵衛 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
栗原錦次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年22歳。
栗原増太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
黒瀬永蔵 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
黒谷三一郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
河野鉄五郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
幸松市太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
小島久吉 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
後藤鉄次郎(東京都荒川区・円通寺)
彰義隊士。本部附。上野山王台で「雁鍋」からの狙撃で戦死。享年不明。
後藤松次郎 富士見御室番格砲兵指図役。上野山で歴代将軍家位牌を守護して戦死。享年不明。
後藤勇次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
小橋喜太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
小林金三郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
小堀貝之助 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
小堀藤次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
小間沢兵吉 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
近藤春三郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
斎藤数馬 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
斎藤久四郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
斎藤久次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
斎藤弥一郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
坂井正高 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
酒井栄太郎彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
酒井宰輔 徴兵指図役。彰義隊頭取並。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
酒井真次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
酒井政高 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
酒貴田謙蔵 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
作兵衛 勘定書小使。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
桜井仙之助 榊原健吉の高弟。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
佐々木源四郎 見廻組隊士。佐々木只三郎の弟。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
佐々木友吉。彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
笹沼悦太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
佐竹勇雄 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
佐竹ユ之助 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
佐竹鎗之助 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
佐藤新太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
佐藤伴次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
佐藤元次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
篠塚松三郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
柴田仁助 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
柴村惣吉 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
新開儀三郎 遊撃隊伍長。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
菅谷九一郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
杉平政豊 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
杉山久助 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
杉山作左衛門 陸軍大砲方士官。彰義隊頭取並。本堂詰器械掛。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年40歳。
杉山多吉 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
杉田茂左衛門 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
助川四郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
鈴木倉吉 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
関口又一郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
高木半六 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
高野一郎右衛門 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
田草川銑蔵 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
竹内又一 遊撃隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
竹内某 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
竹本次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
田代四郎右衛門 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
田中半七 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
棚木順佐 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
田村喜太郎 猶興隊司令官頭取。下寺法勝院屯集。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年30歳。
田村利喜 猶興隊司令官助。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年18歳。
辻新太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
土肥八十三郎 彰義隊一番隊長。「雁鍋」から狙撃されて戦死。享年不明。
富家源之丞 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
富永孫十郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
長江貞之助 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
中島富五郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
長島亀次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年26歳。
中村徳三郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
仲村鋳次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
根本足太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
野口逸蔵 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
野々村大次郎 猶興隊司令官。彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
花俣?吉 彰義隊組頭。天王寺詰。上野山敗戦後根津で捕、斬。享年不明。
羽生一之助 寄合高力直三郎の公用人。慶応四(1868)年5月15日上野山へ行くと家を出て行方不明。箱館戦死とも。享年26歳?。
早川静記 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
林半蔵 富士見御室番格、砲兵指図役。。慶応四(1868)年5月15日上野山で歴代将軍家位牌を守護、山王台で戦死。享年不明。
伴門五郎 文久三(1863)年将軍徳川家茂に従って上京。慶応三(1867)年8月陸軍調役並。慶応四(1868)年彰義隊結成、頭取。5月15日上野山で戦死。享年不明。
彦根音次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
平井伊三郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
平野斧太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
藤田為次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
星野弥五郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
藤田東作 砲兵隊。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
本多金五郎 青一番隊。慶応四(1868)年5月15日上野山山王台で戦死。享年18歳。
本多徳之助 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
増島鐶之助 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
増山鍋次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
松平内記 青一番隊隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年20歳。
松永金次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
松村鞭三 遊撃隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
松本栄次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
真野錠之進 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
間宮金八郎 歩兵指図役頭取。臥龍隊隊長。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
三浦長民 慶応三(1867)年春会津藩脱藩。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年31歳。
水沢甲子平 砲兵隊隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年46歳。
水上桂之輔 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
三宅友三郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
宮崎貫哉 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年21歳。
宮崎楽遊 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
武蔵孫蔵 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
村田定次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年40歳(20歳とも)。
村松威右衛門 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
村松久太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
室住某 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
本橋伊三郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
森沢源太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
山崎正太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
山田半三郎 猶興隊司令官助。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年27歳。
山中新平 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
山本長蔵 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年24歳。
山本鉄太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
山本広八 六番隊槍剣相当。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
米山保太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
吉河磯次郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
吉沢啓三 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
吉田直吉 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
吉田要之介 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
吉見音吉 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
和田新之助 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
渡辺喜惣次 彰義隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
野口久五郎 彰義隊士。上野山で負傷、田町2丁目鈴木しげ方に潜伏、16日自殺。享年不明。
森幸太郎 彰義隊士。慶応四(1868)年5月16日江戸で紀州藩兵に捕らえられ斬、梟。享年25歳。
天野八郎(東京都荒川区・円通寺)
旗本、彰義隊副頭取。幼少より学問武術を好み、15歳まで郷里で育った。在郷中一時同村の叔父浅井家の養子となったが、慶応元(1865)年江戸常火消し与力広浜利喜之進の養子となり、翌年去って旗本天野氏を称し八郎と改名した。明治元(1868)年2月徳川氏朝敵の汚名をそそがんとして旗本ら900余人を糾合、彰義隊を結成して一橋家の重臣渋沢喜作を頭取とし、自ら副頭取となった。その後退隊員2000余となり、水戸に退いた前将軍慶喜や山岡鉄舟の再三の説得に応じず、はじめ浅草本願寺、次いでついに寛永寺を本拠として輪王寺宮を擁して徳川家の再興を図った。この間、渋沢は意合わずして脱退し、以後は彰義隊の実験を握った。同年5月政府軍に攻撃され、八郎は谷中口を守ったが、破れて音羽護国寺に逃れ、再起のため本所の砲匠炭屋文次郎の家に潜伏中、7月13日捕えられ、獄中に病死した。享年38歳。
藍葉老之丞 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
今井弥一郎 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
大谷栄次郎 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
大野吉之助 高田藩神木隊士。高田藩大目付菊間十内の息子で、大野家へ養子。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年27歳。
風間駒吉 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年23歳。
蟹江錦之丞 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
塩田又五郎 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
戸井田源之丞 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
遠山鐘五郎 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
栃堀休次郎 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
中村鋳次郎 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
中村徳三郎 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で負傷、自決。享年17歳。
新島猪之助 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
林一弥 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
福島鐘吉 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
藤野伊之吉 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
三宅与茂七 高田藩神木隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
大屋三四郎 浜田藩純忠隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
川崎佐一郎 浜田藩純忠隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
木村林太郎 浜田藩純忠隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死(行方不明とも)。享年不明。
黒谷ソ一郎 浜田藩純忠隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山屏風坂門で戦死。享年25歳。
佐藤八郎 浜田藩純忠隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
鈴木周蔵 浜田藩純忠隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死(自殺とも)。享年不明。
滝尾斧吉 浜田藩純忠隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
富沢広之助 浜田藩純忠隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死(行方不明とも)。享年不明。
松川太郎兵衛 浜田藩純忠隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
石井小左衛門 浜田藩純忠隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。純忠隊士ではあるが、浜田藩の名簿には記載されていない。
青野直次郎 小浜藩浩気隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年21歳。
小川林蔵 小浜藩浩気隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年39歳。
小幡武松 小浜藩浩気隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年19歳。
蒲生三郎 小浜藩浩気隊隊長。慶応四(1868)年5月15日不忍池畔で勇戦、負傷して穴稲荷門で自決。享年不明。
川島新八郎 小浜藩浩気隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年40歳。
嵯峨新三郎 小浜藩浩気隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年40歳。
栗原錦三郎 小浜藩浩気隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
栗原増太郎 小浜藩浩気隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
黒瀬永蔵 小浜藩浩気隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年32歳。
小倉金之助 小浜藩浩気隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年22歳。
佐藤勝四郎 小浜藩浩気隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
高木半兵衛 小浜藩浩気隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年51歳。
三好左右之介 小浜藩浩気隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年31歳。
加治啓次郎 桑名藩士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
川本惣兵衛 桑名藩士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死(行方不明とも)。享年不明。
北越常吉 桑名藩士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
杉本伴蔵 桑名藩士。江戸邸御用取次祐筆。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
高野一郎左衛門 桑名藩士。江戸詰用人。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
常吉 桑名藩士。一番部屋小者親方。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年48歳。
友田喜門 桑名藩士。御城内番組。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
野口源弥 会津藩士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
野口留三郎 会津藩士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
能見又八 会津藩士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
武川三彦 会津藩士。彰義隊信意隊長。慶応四(1868)年5月15日上野山敗走後官軍に捕えられ、9月9日伝馬町獄で斬(10月9日江戸で自刃とも)。享年24歳(21歳とも)。
奥原秀之助 関宿藩万字隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年23歳。
篠崎松三郎 関宿藩万字隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
丹羽十郎左衛門 関宿藩万字隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
百瀬雄二郎 関宿藩万字隊隊長。初め黄二番隊隊長。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
渡辺彦十郎 関宿藩万字隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
津田芝之助 明石藩松石隊士。慶応四(1868)年4月父と共に松石隊を作って藩邸を脱出、彰義隊へ合流。5月15日上野山で戦死。享年不明。
小沢竜輔 明石藩松石隊士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
小沢理喜雄 明石藩松石隊士。竜輔の弟。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年16歳。
池端福内 和歌山藩士。慶応四(1868)年5月15日上野山で敗走、帰京。追及厳しく自殺。享年不明。
川端文四郎 和歌山藩士。慶応四(1868)年5月15日上野山で敗走、帰京。追及厳しく自殺。享年不明。
村田精右衛門 羽前庄内藩士。慶応四(1868)年5月12日江戸小梅で戦死。享年不明。
大蔵又一 下総結城藩士。慶応四(1868)年5月15日上野山(3月25日結城とも)で戦死。享年不明。
大辻鏡七 伊勢亀山藩士。慶応四(1868)年5月15日上野山で捕、斬。享年不明。
宮崎貫哉 高崎藩士。高勝隊付属。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
森沢源太郎 水戸藩士。慶応四(1868)年5月15日上野山で戦死。享年不明。
原田左之助(東京都北区・寿徳寺境外墓地)
新撰組隊士。副長助勤、十番隊組長を歴任。安政三(1856)年頃、江戸に出て三田の松山藩邸で中間をしていたが、間もなく郷里に戻り、若党となる。この間に事情があって切腹を図ったが、その傷痕が、後々まで残っており、ついには丸に一文字を定紋にしたという。美男で頭もよかったというが、高慢な性格と伝わる。その後、出奔して江戸で近藤勇らと知り合い、文久三(1863)年2月、浪士組に参加して上洛。近藤らと新撰組の前身となる壬生浪士組を結成する。同年6月には大坂力士との乱闘事件に加わり、同9月には長州の間者として楠小十郎を殺害。元治元(1864)年6月の池田屋事変では、土方歳三隊に属して屋内に斬り込み、報奨金17両を受け取る。翌月の禁門の変では小荷駄雑具方の長を務め、慶応元(1865)年には十番隊長となるが、翌年9月の三条制札事件では七番組長として出動している。この時、土佐の藤崎吉五郎を斬り伏せるが、軽傷を負った。油小路の変では服部武雄と剣を交え、ついには刺殺したという。慶応四(1868)年1月、鳥羽伏見の戦いを経て江戸に帰還し、甲州勝沼の戦いに敗走後、江戸で永倉新八らとともに新撰組を脱して靖共隊を結成、副長となる。旧幕脱走軍に合流して日光への進軍中、山崎宿で離脱し、江戸へ戻った。その後本所猿江町の神保山城守の一隊に合流した模様で、5月15日の上野戦争に負傷して神保邸で死亡する。享年29歳。
慶応四(1868)年1月に勃発した鳥羽伏見の戦いに敗れた幕府軍は江戸に撤退しましたが、新政府軍はすぐに討伐軍を編成し、江戸攻略、さらには抵抗瀬力の多い東北方面の平定に乗り出します。江戸では小栗上野介さんや榎本武揚さんら抗戦派と勝海舟さんや松平春嶽さんら恭順派が今後の方針をめぐって紛糾するわけですが、結局は徳川慶喜公の恭順受諾の意を受け、勝さんが3月に大総督府参謀の西郷どんとの話し合いで江戸無血開城が決まりました。4月11日、慶喜公は水戸に謹慎ということで江戸城をお出になられ、江戸は新政府軍の管理下におかれたのです。
元々将軍警固の目的で渋沢成一郎さんや天野八郎さんらによって結成された彰義隊は、治安維持・徳川家霊廟守護の名目で上野寛永寺に留まりましたが、渋沢さんを初めとする恭順派が脱退したため、彰義隊は抗戦派の色合いを強めてしまったのです。新政府軍の工作により勝さんら幕閣とも軋轢を生み、勝さんから解散命令を受けます。しかしそれを無視して上野寛永寺に立てこもったため、5月1日に今度は新政府軍から彰義隊に対して投降・武装解除の命令が布達されました。こうして彰義隊と新政府軍は険悪な状態となり、両者の衝突も頻発したため、軍務局判事大村益次郎さんは14日に彰義隊総攻撃を布達。15日、ついに総攻撃が始まります。戦闘は激烈を極めますが、佐賀藩のアームストロング砲や薩摩藩兵の猛攻などにより次第に彰義隊は押され、黒門口が破られるに及び、ついに勝敗が決しました。

彰義隊戦死者らの遺体は放置され埋葬も禁じられていましたが、南千住円通寺の二十三世仏麿和尚はこれを上野山に埋葬・供養して捕縛されました。明治七(1874)年に上野に墓石を立てることが許され、円通寺にも戦死者供養の官許を得て。寺内に遺骨の一部を移し供養墓を建てました。

上野山の墓碑には大墓石と小墓石があり、小墓石は明治二(1869)年に寛永寺子院の寒松院と護国院の住職が密かに埋めたもので、のちに掘り出されました。小墓石の後に立つ大墓石は明治十四(1881)年に元彰義隊士・小川興郷さんらによって建てられましたが、会津と同じように戦没者の名前を刻むことは許されなかったため、旧幕臣・山岡鉄舟の揮毫で「戦死之墓」とだけ刻まれています。
慶応四年 上野戦争