石川厚狭介(京都市東山区・東福寺長州墓地)
長州藩士。文久三(1863)年攘夷実行に京都から久坂玄瑞らと帰国して下関を守備し、奇兵隊に入隊した。慶応元(1865)年振武隊小隊長となって恭順派政府軍と美禰郡絵堂に戦ってこれを破り、慶応二(1866)年の幕長戦には中隊司令に進み、石州口に出兵して浜田城を攻略した。慶応四(1868)年正月鳥羽伏見の戦いに山城伏見川堤で会津・桑名藩兵を追撃中、伏兵のため槍で胸を刺されたが、直ちにその兵を斬り奮闘の末戦死した。享年26歳。
相木岡四郎(京都市東山区・東福寺長州墓地)
遊撃隊士。玖珂郡高岡村の農。慶応四(1868)年1月3日伏見で戦死。享年25歳。
宇佐川熊蔵(京都市東山区・東福寺長州墓地)
遊撃隊士。萩独淵の農。慶応四(1868)年1月3日伏見で戦死。享年20歳。
三浦龍助(京都市東山区・東福寺長州墓地)
第二奇兵隊士。寄組士清水美作家来。慶応四(1868)年1月3日伏見京橋で戦死。享年27歳。
尾川猪三郎(京都市東山区・東福寺長州墓地)
第二奇兵隊、健武隊小隊長。寄組士藩家老浦靭負の家来進平の長男。慶応四(1868)年1月4日伏見高瀬川堤で戦死。享年22歳。
片山金次(京都市東山区・東福寺長州墓地)
第二奇兵隊、健武隊嚮導。都濃郡久米の農。慶応四(1868)年1月4日伏見高瀬堤で戦死。享年25歳。
原川金蔵(京都市東山区・東福寺長州墓地)
遊撃隊士。美禰郡青景の農。慶応四(1868)年1月4日伏見で戦死。享年20歳。
山下翠(京都市東山区・東福寺長州墓地)
遊撃隊士。熊毛郡河上村の農。慶応四(1868)年1月4日伏見で戦死。享年20歳。
伊藤京次(京都市東山区・東福寺長州墓地)
振武隊士。家老毛利筑前家来昌伯の長男。慶応四(1868)年1月5日淀川堤で戦死。享年19歳。
河上四郎(京都市東山区・東福寺長州墓地)
振武隊士。萩米屋町の町人徳屋の育。慶応四(1868)年1月5日淀川堤で戦死。享年24歳。
黒瀬千代太郎(京都市東山区・東福寺長州墓地)
寄組士益田伊豆の家来。慶応四(1868)年1月5日、淀川堤で戦死。享年30歳。
河東三郎(京都市東山区・東福寺長州墓地)
南園隊、振武隊嚮導。別名十川三郎。装条銃中間仙吉の次男。慶応四(1868)年1月5日、淀川堤で戦死。享年23歳。
戸沢竹二郎(京都市東山区・東福寺長州墓地)
奇兵隊士。堅田大和少輔の家来。慶応四(1868)年1月5日淀川堤で戦死。享年29歳。
藤村英次郎(京都市東山区・東福寺長州墓地)
来栖源兵衛組装条銃中間太郎の弟。士雇。文久三(1863)年兄と奇兵隊に入り、慶応三(1867)年11月同半隊司令として上京軍に加わり、慶応四(1868)年1月5日淀川堤で戦死。享年21歳。
石川猪三郎(京都市東山区・東福寺長州墓地)
奇兵隊士。吉敷郡小郡岩淵の農寅之助の弟。慶応四(1868)年1月5日淀川堤で負傷し、6日死去。享年29歳。
入江勝馬(京都市東山区・東福寺長州墓地)
奇兵隊士。阿武郡川上村梅岳寺家来ふ太熊の次男。慶応四(1868)年1月5日淀川堤で負傷し、6日死去。享年21歳。
福島男也(京都市東山区・東福寺長州墓地)
病院付医師。徳山の人。慶応四(1868)年1月6日山城八幡別峰村で戦死。享年28歳。
宮本万蔵(京都市東山区・東福寺長州墓地)
日新隊小者。岩国錦見の農。慶応四(1868)年1月6日山城八幡で戦死。享年20歳。
吉田順之助(京都市東山区・東福寺長州墓地)
振武隊士。玖珂郡室木の農。慶応四(1868)年1月5日淀川堤で負傷、6日死去。享年24歳。
上田滝之助(京都市東山区・東福寺長州墓地)
整武隊士。熊毛郡平生村の農滝蔵の子。慶応四(1868)年1月4日鳥羽街道で負傷、10日死去。享年29歳。
上山讃五郎(京都市東山区・東福寺長州墓地)
振武隊嚮導。装条銃中間新兵衛の子。慶応四(1868)年1月5日淀川堤で負傷、10日死去。享年21歳。
久保直吉(京都市東山区・東福寺長州墓地)
南国隊、振武隊士。吉敷郡恋路の農岩吉の弟。慶応四(1868)年1月10日大坂城内での地雷爆発事故焚死。享年20歳。
小林隼太(京都市東山区・東福寺長州墓地)
南国隊、振武隊。徳山芳屋町の町人。慶応四(1868)年1月10日大坂城内での地雷爆発事故焚死。享年32歳。
竹田二郎(京都市東山区・東福寺長州墓地)
振武隊嚮導。第二砲隊組文左衛門の弟。慶応四(1868)年1月10日大坂城内での地雷爆発事故焚死。享年26歳。
有田彦兵衛(京都市東山区・東福寺長州墓地)
奇兵隊士。須佐郡弥富村の農嘉七の弟。慶応四(1868)年1月5日淀川堤で負傷、同月24日死去。享年23歳。
石川和三郎(京都市東山区・東福寺長州墓地)
奇兵隊士。嶺郡青景村の農十郎右衛門の次男。慶応四(1868)年1月5日淀川堤で負傷、同月24日死去。享年23(19?)歳。
大村清次郎(京都市東山区・東福寺長州墓地)
奇兵隊士。大島郡戸田村の農。慶応四(1868)年1月5日淀川堤で負傷し、2月4日死去。享年22歳。
河村梅吉(京都市東山区・東福寺長州墓地)
整武隊士。都濃郡湯野村の農弥三郎の次男。慶応四(1868)年1月4日鳥羽街道で負傷、後送され2月12日周防三田尻で死去。享年22歳。
原田粂之進(京都市東山区・東福寺長州墓地)
遊撃隊整兵隊嚮導。佐波郡植松村の農。慶応四(1868)年1月4日伏見で負傷、2月12日死去。享年23歳。
入江隼人(京都市東山区・東福寺長州墓地)
整武隊士。吉敷郡小郡秋穂村の禰宜社人主殿の次男。慶応四(1868)年1月4日伏見で負傷、帰藩後の2月13日三田尻で死去。享年23歳。
品川喜一(京都市東山区・東福寺長州墓地)
整武隊士。熊毛郡上関麻郷村の農。慶応四(1868)年2月4日鳥羽街道で負傷、帰藩後の2月13日三田尻で死去。享年30歳。
佐伯鉄之進(京都市東山区・東福寺長州墓地)
整武隊士。周防三田尻新田の農。慶応四(1868)年1月4日伏見高瀬川堤で負傷、同24日死去。享年20歳。
岡崎高槌(京都市東山区・東福寺長州墓地)
振武隊半隊司令。美祢郡伊佐村の農。慶応四(1868)年1月5日淀川堤で負傷、3月8日死去。享年30歳。
平野光二郎(京都市東山区・東福寺長州墓地)
膺懲隊参謀。遠近付士仙吉の次男元治元(1864)年5月下関攘夷戦、内訌戦、幕長戦に従軍した。慶応四(1868)年1月4日山城八幡で負傷、山口に帰り3月14日死去。享年24歳。
松原善人(京都市東山区・東福寺長州墓地)
振武隊士。佐波郡夏切の農吉兵衛の三男。奈古・宝積寺の徒弟。慶応四(1868)年1月5日淀川堤で負傷、4月6日死去。享年22歳。
好兵衛(京都市東山区・東福寺長州墓地)
仲取方人夫。慶応四(1868)年1月4日、淀川堤で負傷、閏4月7日山口病院で死去。享年28歳。
十川彦四郎(京都市東山区・東福寺長州墓地)
奇兵隊士。慶応四(1868)年1月伏見に戦い4月20日京都で死去。享年24歳。
田代三之進(京都市東山区・東福寺長州墓地)
遊撃隊参謀。美祢郡大嶺村の農清五郎の三男。慶応四(1868)年1月3日伏見で負傷、4月24日山口病院で死去。享年33歳。
原川助右衛門(京都市東山区・東福寺長州墓地)
奇兵隊嚮導。慶応四(1868)年1月5日淀川堤で負傷、閏4月28日山口病院で死去。享年33歳
後藤深造(京都市東山区・東福寺長州墓地)
土佐藩士上田宗児。文久二(1862)年脱藩、天誅組の挙兵に参加、敗れて長州に落ち禁門の変にも加わった。のち後藤深造と改名、長州藩士として遇せられ幕府の征長戦に活躍。慶応四(1868)年1月3日遊撃隊参謀として伏見で戦死した。享年27歳。

宮田半四郎(京都市東山区・東福寺長州墓地/福岡県久留米市・山川招魂社)
久留米藩士。文久三(1863)年4月脱藩して上京、幽囚中の真木和泉ら久留米藩士の釈放に奔走して成功、大和挙兵に加わり、敗れて宮田半四郎を名乗り長州へ。慶応元(1865)年遊撃隊司令兼参謀。慶応四(1868)年1月3日山城伏見で負傷、3月11日三田尻病院で死去。享年38歳。
長州藩の殉難者墓地は、一兵士に至るまで墓碑が立てられており、その辺は幕府軍との扱いの差を感じてしまいます。
慶応四年 鳥羽伏見の戦い 長州藩