東福寺即宗院
東征戦亡者之碑
上村珎樹(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第三隊伍長。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で負傷、没。。享年28歳。
臼井道哉(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第三隊。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で戦死。享年36歳。
児玉源兵衛(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第三隊。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で負傷、没。享年48歳。
児玉清兵衛(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第三隊。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で戦死。享年35歳。
佐藤林蔵(京都市東山区・東福寺即宗院)
第二隊伍長。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で戦死。享年30歳。
長静吾(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第三隊小頭。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で戦死。享年31歳。
野崎半左衛門(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第三隊。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で戦死。享年36歳。
松崎勘助(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第三隊小頭。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で戦死。享年27歳。
松元新左衛門(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第十隊。慶応四(1868)年5月6日越後椎谷荒浜村で戦死。享年37歳。
熊吉(京都市東山区・東福寺即宗院)
夫卒。慶応四(1868)年5月11日越後榎峠で戦死。享年不明。
東郷助之丞(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第二隊。慶応四(1868)年5月25日越後太田川で戦死。享年24歳。
伝次郎(京都市東山区・東福寺即宗院)
遊撃第二隊。慶応四(1868)年5月29日越後帯織村で戦死。享年不明。
竹原佐一郎(京都市東山区・東福寺即宗院)
遊撃第二隊太鼓役。慶応四(1868)年5月30日越後片桐村で戦死。享年17歳。
徳松(京都市東山区・東福寺即宗院)
夫卒。外城第三隊。慶応四(1868)年6月7日越後筒場村で戦死。享年不明。
本田郷右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第十四隊。慶応四(1868)年7月24日越後長岡城内病院で自決。享年31歳。
上原周左衛門(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第二隊。慶応四(1868)年7月25日越後押切台場で戦死。享年27歳。
川上休右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第十三隊小頭。慶応四(1868)年7月25日夜越後福島水門戦死。享年26歳。
川村源七(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第二隊。慶応四(1868)年7月25日越後押切台場で戦死。享年21歳。
木場良右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第二隊。慶応四(1868)年7月25日越後押切台場で戦死。享年23歳。
重信友輔(京都市東山区・東福寺即宗院)
医師。大砲第四隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡城内病院で戦死。享年25歳。
新村謙益(京都市東山区・東福寺即宗院)
医師。小銃第十四隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡城内病院で戦死。享年42歳。
助次郎(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第二隊玉薬持夫。慶応四(1868)年7月25日越後押切台場で戦死。享年20歳。
泊庄之助(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第二隊。慶応四(1868)年7月25日押切台場で戦死。享年23歳。
西剛右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第二隊小頭。慶応四(1868)年7月25日越後押切台場で戦死。享年21歳。
日渡十次郎(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第二隊。慶応四(1868)年7月25日越後押切台場で戦死。享年24歳。
牧野正之進(京都市東山区・東福寺即宗院)
薩摩藩士。松方正義の兄。剣道、射撃に長ず。慶応四(1868)年小銃第十三隊監軍として東征、7月25日越後長岡で戦死。享年39歳。
山元城之助(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第二隊。慶応四(1868)年7月25日越後押切台場で戦死。享年17歳。
十助(京都市東山区・東福寺即宗院)
夫卒。大砲第二隊。慶応四(1868)年7月26日越後長岡城下で戦死。享年26歳。
鉄之助(京都市東山区・東福寺即宗院)
夫卒。鮫島周吉従者。第十四番隊。慶応四(1868)年7月26日越後長岡城下で戦死。享年不明。
尾上為之丞(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第十三隊。慶応四(1868)年7月29日越後福井村台場で戦死。享年28歳。
常吉(京都市東山区・東福寺即宗院)
夫卒。宇都宮多聞院従卒。慶応四(1868)年8月1日越後三条五十嵐川で戦死。享年50歳。
小次郎(京都市東山区・東福寺即宗院)
酒匂源左衛門家来。慶応四(1868)年7月30日越後長岡で戦死(29日大黒で負傷、8月27日没とも)。享年不明。
桂弥八郎(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第十三隊喇叭役。慶応四(1868)年8月12日越後蒲原郡田川内村で戦死。享年16歳。
清太郎(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第十三隊有馬清太郎従卒。慶応四(1868)年8月12日越後蒲原郡田川内村で戦死。享年18歳。
伊東敬輔(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第十四隊伍長。慶応四(1868)年8月10日越後五泉で戦死。享年22歳。
辻森之助(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第七隊。慶応四(1868)年8月10日越後小松村で戦死。享年19歳。
塩田分右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第七隊。慶応四(1868)年8月11日越後小松村で戦死。享年18歳。
宮之原源吾(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第七隊小頭。慶応四(1868)年8月11日越後小松村で負傷、29日没。享年27歳(21歳とも)。
湯地休左衛門(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第七隊監軍。慶応四(1868)年8月10日越後小松村で負傷、9月1日没。享年39歳。
仁蔵(京都市東山区・東福寺即宗院)
大砲第二隊夫卒。慶応四(1868)年6月14日越後筒場村で負傷、9月3日没。享年24歳。
本田太郎作(京都市東山区・東福寺即宗院)
外城第三隊小頭。慶応四(1868)年8月4日越後村松城下で負傷、9月5日没。享年22歳。
酒匂孫一郎(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第七隊。慶応四(1868)年6月29日越後大黒村砲台で負傷、9月14日没。享年25歳。
別府五右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第十四隊小頭。慶応四(1868)年8月10日越後五泉で負傷、10月1日没。享年31歳。
脇田仙之丞(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第十四隊太鼓役。慶応四(1868)年8月10日越後小松村で負傷、10月4日没。享年25歳。
二宮藤次郎(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村砲台で負傷、10月17日没。享年20歳。
白石清之丞(京都市東山区・東福寺即宗院)
番兵第五隊。慶応四(1868)年9月12日越後小俣村で負傷、11月19日没。享年24歳。
酒匂孫一郎(京都市東山区・東福寺即宗院)
小銃第七隊。慶応四(1868)年6月29日越後大黒村砲台で負傷、9月14日没。享年25歳。
十郎(京都市東山区・東福寺即宗院)
夫卒。越後押切台場で戦死。享年不明。

金谷山薩摩藩戦死墓
富山弥兵衛(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/京都市東山区・戒光寺)
元新撰組隊士。元治元(1864)年10月前後に京坂で入隊。薩摩藩が新撰組の内情を探るために入隊させようとしたが、疑惑を持たれて拒絶されるところを、伊東甲子太郎の口添えにより入隊したという。伍長。同年12月の編成では松原忠司の七番大砲組に属している。慶応元(1865)年7月、伊東らと共に浪士の捕縛のため奈良に出張し、浪士と斬り結び、また、年次不明ながら川島勝司を斬首した。慶応三(1867)年3月、伊東甲子太郎らとともに新撰組から分離して御陵衛士の随従同志となる。同年5月、大坂で曲直瀬道策を殺害。油小路の変では窮地を脱し、12月には近藤勇を狙撃し、重傷を負わせる。慶応四(1868)年鳥羽伏見の戦いでは薩摩軍に属し、負傷。治癒後に越後出雲崎で水戸諸生党に捕えられ、脱走したが、閏4月2日追手と斬り結んで死亡。享年26歳。
松元新左衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年5月6日越後椎谷荒浜村で戦死。享年37歳。
阿多新吾(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第三隊斥候役。慶応四(1868)年5月19日越後長岡城で戦死。享年22歳。
浜田藤助(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第四隊。慶応四(1868)年5月19日越後長岡で戦死。享年21歳。
有馬嘉兵衛(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第三隊。慶応四(1868)年5月24日越後杉沢村で戦死。享年23歳。
池田半之助(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第十隊。慶応四(1868)年5月26日越後小栗山で戦死。享年22歳。
河南武右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第四隊伍長。慶応四(1868)年5月26日越後小栗山で戦死。享年28歳。
丸田助四郎(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年5月26日越後小栗山で戦死。享年21歳。
麦生田有誠(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
遊撃第二隊。慶応四(1868)年5月26日越後小栗山で戦死。享年28歳。
竹原佐一郎(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
遊撃第二隊太鼓役。慶応四(1868)年5月30日越後片桐村で戦死。享年17歳。
国生六郎(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
遊撃第二隊。慶応四(1868)年5月11日越後榎峠で負傷、29日没。享年27歳。
榎本新十郎(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
徴兵隊小銃第八隊斥候役。慶応四(1868)年6月2日越後島崎で戦死。享年22歳。
山下弥四郎(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年5月26日越後小栗山で負傷、6月4日没。享年18歳。
西田新蔵(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
徴兵隊。慶応四(1868)年6月2日越後島崎で負傷、同月10日没。享年44歳。
野元助八(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
徴兵隊小銃第八隊隊長。慶応四(1868)年6月2日越後島崎で負傷、同月10日没。享年27歳。
吉右衛門(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第四隊附。慶応四(1868)年5月26日越後大面で負傷、6月10日柏崎病院で没。享年35歳。
川村宗之丞(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
徴兵隊。小銃第八隊。慶応四(1868)年6月13日越後島崎で戦死。享年19歳。
田中栄右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第四隊伍長。慶応四(1868)年5月26日越後小栗山で負傷、6月15日没。享年28歳。
樺山伊十郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
小銃八番隊。慶応四(1868)年6月19日越後出雲崎で陣没。享年23歳。
吉太(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第四隊夫卒。慶応四(1868)年5月26日越後小栗山で負傷、6月21日没。享年28歳。
末田諸右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第四隊四役場。慶応四(1868)年5月26日越後小栗山で負傷、6月27日没。享年32歳。
直左衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第三隊卒。慶応四(1868)年6月4日越後鹿熊川で負傷、27日没。享年39歳。
有川彦太郎(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
遊撃第二隊。慶応四(1868)年5月13日越後榎峠で負傷、7月3日没。享年18歳。
吉利正兵衛(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
徴兵隊小銃第八隊。旗役。慶応四(1868)年越後島崎で負傷、7月4日没。享年22歳。
村田万次郎(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
大砲第二隊卒。慶応四(1868)年7月2日越後大黒砲台で負傷、14日没。享年22歳。
日高源左衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第一隊。慶応四(1868)年7月22日越後久保村で戦死。享年46歳(43歳とも)。
伊地知市左衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
徴兵隊小銃第八隊。慶応四(1868)年7月25日越後与板で負傷、27日没。享年25歳。
海老原直一(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
番兵第二隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で戦死。享年22歳。
鮫島周吉(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
小銃第十四隊隊長。慶応四(1868)年7月25日越後長岡城内で戦死。享年30歳。
田中米右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
遊撃第二隊。慶応四(1868)年5月13日越後榎峠で負傷、7月26日没。享年34歳。
市太郎(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第三隊夫卒。慶応四(1868)年5月19日越後長岡で負傷。7月29日没。享年27歳。
久保武七(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
遊撃第二隊。慶応四(1868)年5月13日越後榎峠で負傷、8月2日没。享年20歳。
作次郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
隊号不明。慶応四(1868)年夏北越で負傷、8月3日高田病院で没。享年不明。
重左衛門(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
隊号不明。慶応四(1868)年北越で負傷、8月3日高田病院で没。享年不明。
平左衛門(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
隊号不明。慶応四(1868)年北越で負傷、8月3日高田病院で没。享年不明。
宮内静次(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
番兵第二隊。慶応四(1868)年5月25日越後長岡で負傷、8月3日没。享年18歳。
六左衛門(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
隊号不明。慶応四(1868)年夏北越で負傷、8月3日高田病院で没。享年不明。
三島弥太郎(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
小銃第十三隊。慶応四(1868)年8月4日越後蒲原郡上保内で負傷、没。享年31歳。
川村栄之助(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
慶応四(1868)年7月25日越後長岡で負傷、8月6日没。享年22(23とも)歳。
伊地知休左衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で負傷、8月7日没。享年19歳。
中原猶介(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
薩摩藩士。嘉永二(1849)年18歳のとき長崎に出張、公務の間に蘭学を学んだ。嘉永四(1851)年島津斉彬襲封に当り帰藩を命ぜられ、斉彬の軍艦建造等の計画に従事す。のち江戸に留学、安井息軒に漢学を、杉田成卿に蘭学を学び、安政四(1857)年帰藩して兵器軍制の改良、軍隊の訓練等に当った。翌年斉彬死後免職され、江戸の江川英敏の塾にて兵学砲術を学び、一時帰国。安政六(1859)年誠忠組に盟約したが、文久元(1861)年藩命を受け再び江川塾に入って翌年塾頭となった。のち帰藩後海軍の復興、砲台の改築等に努めた。元治元(1864)年軍賦役となる。慶応四(1868)年戊辰戦争に海軍参謀となり、8月7日越後長岡にて戦病死す。享年37歳。
川越正左衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第二隊。慶応四(1868)年7月25日押切台場で負傷、8月9日高田で没。享年23歳。
黒川戸右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第二隊。慶応四(1868)年7月25日越後押切で負傷、8月9日没。享年23歳。
市来嘉納次(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
薩摩藩軍艦乾行丸副艦長。慶応四(1868)年8月2日越後三条にて戦死(夏北越で負傷、のち越後今町で没とも)。享年23歳。
山下正右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
番兵第二隊。慶応四(1868)年8月2日越後曲淵村で負傷、12日没。享年28歳。
大重弥惣太(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
小銃第十隊半隊長。慶応四(1868)年6月21日越後筒場村(8月2日福島村とも)で負傷、8月14日高田病院で没。享年20歳。
西郷吉二郎(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
薩摩藩士。兄隆盛が国事に尽くし、また南島に流謫されている間、家事を収めて後顧の憂いなからしめた。慶応三(1867)年11月城下小銃八番隊監軍として藩主島津忠義に従って上京した。慶応四(1868)年の戊辰戦争には兄隆盛・吉二郎・弟従道・小兵衛と兄弟4人が出陣、5月北越長岡城攻撃に参加した。同年7月番兵二番隊監軍に転じ大黒村より長岡城に進み大手口より攻め入り城を陥れた。さらに8月2日曲淵村五十嵐川を越えて敵を撃たんとした時に激戦となり、腰部に敵弾を受け14日柏崎病院で没し、高田に葬られた。享年36歳。
松下新蔵(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
番兵第二隊。慶応四(1868)年8月2日越後曲淵村で負傷、15日没。享年22歳。
田尻伊兵衛(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第二隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で負傷、8月16日高田病院で没。享年48歳。
有馬良次郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年8月2日越後月岡村で負傷、17日同国長岡で没。享年18歳。
平山直左衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
番兵第二隊小頭。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で負傷、8月18日高田で没。享年37歳。
松元彦右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
慶応四(1868)年7月25日越後押切台場で負傷、8月18日没。享年32歳。
上野嘉次郎(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
小銃第十三隊。慶応四(1868)年8月1日越後五十嵐川田島渡しで負傷、21日没。享年21歳。
佐々木助右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第二隊。慶応四(1868)年8月4日越後福島村月津山中で負傷、23日没。享年44歳。
篠原彦次郎(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第二隊小頭。慶応四(1868)年越後福島村月津山中で負傷、9月2日没。享年24歳。
竹元昌蔵(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
遊撃第二隊。慶応四(1868)年6月1日越後筒場村で負傷、9月8日没。享年33歳。
松崎麟平(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城第二隊分隊長。慶応四(1868)年7月25日越後押切台場で負傷、9月8日没。享年26歳。
酒匂孫一郎(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年6月29日越後大黒村砲台で負傷、9月14日没。享年25歳。
肥後幸蔵(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城番兵二番隊。慶応四(1868)年7月1日越後長岡で負傷、9月14日高田病院で没。享年26歳。
有馬孫兵衛(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
外城三番隊太鼓役。慶応四(1868)年8月北越で負傷、9月15日高田病院で没。享年27歳。
相良清右衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
大砲第二隊。慶応四(1868)年8月6日越後福島村で負傷、9月17日没。享年19歳。
新納弥五左衛門(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年7月29日越後六日市で負傷、9月20日没。享年26歳。
竹下五兵衛(京都市東山区・東福寺即宗院/新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
番兵第二隊。慶応四(1868)年9月11日越後小俣村で負傷、11月19日没。享年20歳。
金次郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
慶応四(1868)年夏北越で負傷、12月15日柏崎病院で没。享年30歳。

慈眼寺
歩卒位牌
熊吉(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
夫卒。外城第三隊。実は越後小千谷の農。慶応四(1868)年5月3日越後片貝で負傷、のち没。享年21歳。
熊吉(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
夫卒。慶応四(1868)年5月11日越後榎峠で戦死。享年不明。
半助(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊卒。慶応四(1868)年6月1日(5月28日とも)越後堀溝山中で戦死。享年不明。
徳四郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
夫卒。外城第三隊。慶応四(1868)年6月7日越後下条村で戦死。享年28歳。
治左衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
夫卒。越後高田領の人。慶応四(1868)年6月10日(15日とも)越後筒場村で戦死。享年53歳。
辰五郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
夫卒。外城第三隊。越後高田領の人。慶応四(1868)年6月10日越後筒場村で戦死。享年37歳。
八太郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第三隊夫卒。慶応四(1868)年6月10日越後筒場村で戦死。享年19歳。
東市(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
大砲第二隊卒。慶応四(1868)年越後筒場村で戦死。享年24歳。
八太郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊従卒。慶応四(1868)年7月24日越後大黒村で戦死。享年20歳。
順吉(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
大砲第二隊卒。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で戦死。享年24歳。
源次郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
番兵第二隊監軍安田泰助従卒。江戸の人。慶応四(1868)年7月29日越後長岡(三条とも)で負傷、8月3日没。享年不明。

慈眼寺位牌
木村稲次郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
遊撃第二隊。慶応四(1868)年5月11日越後榎峠で戦死。享年20歳。
吉田喜右衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
遊撃第二隊。慶応四(1868)年5月11日榎峠で負傷、死す。享年17歳。
堀添平左衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
遊撃第二隊。慶応四(1868)年1月伏見役後入隊。5月13日越後榎峠で戦死。享年20歳。
田中道賢(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
遊撃第二隊。慶応四(1868)年5月26日越後与板塩入峠で戦死。享年27歳。
和田乗左衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
遊撃第二隊。慶応四(1868)年5月26日越後与板で戦死。享年19歳。
木村彦二(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
遊撃第二隊戦士。慶応四(1868)年5月30日越後片貝村で負傷、6月1日没。享年20歳。
矢田林之丞(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年6月1日越後堀溝山中で戦死。享年25歳。
中村源右衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第三隊。慶応四(1868)年6月4日越後鹿熊川で戦死。享年40歳。
有馬十九郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第三隊。慶応四(1868)年6月5日越後鹿熊川で戦死。享年19歳。
大内田玄中(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第三隊。慶応四(1868)年6月7日(14日とも)越後筒場村で戦死。享年27歳。
宮之原弥兵衛(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第三隊。慶応四(1868)年6月7日越後筒場村で戦死。享年44歳。
川添庄太郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第三隊。慶応四(1868)年6月10日越後筒場村で戦死。享年22歳。
永井宗七郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第三隊。慶応四(1868)年6月10日越後筒場村で戦死。享年26歳。
d松喜平太(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年6月14日越後大黒村で戦死。享年21歳。
石神為兵衛(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第三隊伍長。慶応四(1868)年5月24日越後杉沢村で負傷、6月14日没。享年35歳。
伊東彦兵衛(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
慶応四(1868)年6月14日越後大黒村で負傷、没。享年20歳。
岩重佐兵衛(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第三隊伍長。慶応四(1868)年6月14日越後筒場村で戦死。享年39歳。
亀沢宗八郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年6月14日越後筒場村で戦死。享年18歳。
児玉休五郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年6月14日越後大黒村で戦死。享年16歳(25歳とも)。
児玉治郎兵衛(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第三隊。慶応四(1868)年6月14日越後筒場村で負傷、没。享年38歳。
堀切喜介(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第四隊。慶応四(1868)年6月14日越後川台村で戦死。享年19歳。
本田吉左衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第三隊伍長。慶応四(1868)年6月14日越後筒場村で負傷、没。享年16歳(26歳とも)。
皆吉九平太(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊半隊長。慶応四(1868)年6月14日越後大黒村で戦死。享年24歳。
山口鉄之助(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
薩摩藩士。剣に秀で薬丸流の達人。安政六(1859)年誠忠組に参加、文久二(1862)年中小姓となり、寺田屋事変に際しては島津久光の命を受けて鎮撫に赴いた。文久三(1863)年7月の薩英戦争にはいわゆる西瓜舟斬込隊に加わり、慶応四(1868)年戊辰戦争には小銃第十番隊隊長として出陣、6月14日越後大黒村で戦死。享年38歳。
山田助左衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年6月14日越後大黒村で戦死。享年21歳。
吉田二次郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年6月14日越後大黒村で戦死。享年20歳。
榊善之助(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
遊撃第二隊。慶応四(1868)年5月13日越後榎峠で負傷、6月19日没。享年17歳。
高柳幸左衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
徴兵隊小銃第八隊斥候役。慶応四(1868)年6月2日越後島崎で負傷、20日没。享年36歳。
石原金次郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年6月21日越後大黒村で戦死。享年19歳。
神戸休兵衛(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年6月21日越後筒場村で戦死。享年21歳。
久保甚兵衛(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
大砲第二大隊小頭見習。慶応四(1868)年6月14日越後長岡近郊で負傷、21日没。享年23歳。
村田長左衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊監軍。慶応四(1868)年6月21日越後大黒村で負傷、23日没。享年歳。
平瀬友次郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年6月21日越後筒場村で負傷、25日没。享年20歳。
村橋宗之丞(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊小頭見習。慶応四(1868)年6月14日越後大黒村で負傷、26日没。享年26歳。
中村源助(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第四隊隊長。慶応四(1868)年6月14日越後川辺村で負傷、27日没。享年24歳。
西郷宗次郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊監軍。慶応四(1868)年6月28日夜越後大黒村砲台で負傷、7月1日没。享年36歳。
長野仲之助(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年7月1日越後荷頃村で戦死。享年20歳。
宮内藤左衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
遊撃第二隊分隊長。慶応四(1868)年5月13日越後榎峠で負傷、7月10日没。享年22歳。
久木田清次郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村砲台で戦死。享年24歳。
隈本八次郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村砲台で戦死。享年23歳。
税所正吉(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村で戦死。享年19歳。
白石吉左衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村砲台で戦死。享年19歳。
堀之内平八(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村砲台で戦死。享年18歳。
川越邑二(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第二隊。慶応四(1868)年越後筒場村で負傷、同夜没。享年24歳。
池田猪之助(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村砲台で負傷、16日没。享年19歳。
平田助八(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十四隊。慶応四(1868)年7月24日夜越後城内病院で戦死。享年36歳。
有川庄兵衛(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で戦死。享年34歳。
伊勢弥一郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月25日(24日とも)越後長岡で戦死。享年23歳。
甲斐利兵衛(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月25日。越後長岡で戦死。享年19歳。
川原仲兵衛(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十四隊戦士。慶応四(1868)年7月25日越後川辺村で戦死。享年41歳。
隈崎宗之丞(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で戦死。享年18歳。
税所孫太郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第四隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡城下で戦死。享年20歳。
酒匂雄七(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第四隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で戦死。享年19歳。
千田壮八郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で戦死。享年33歳。
永井佐太郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
本営従兵。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で戦死。享年25歳。
畠山孫四郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で戦死。享年18歳。
牧野七之丞(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
大砲第二隊。慶応四(1868)年7月25日越後十二潟で戦死。享年20歳。
松本甚七(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十四隊。慶応四(1868)年7月25日越後川辺村で戦死。享年34歳。
丸田弥七左衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で戦死。享年18歳。
宮下市助(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で戦死。享年21歳。
村原宗太郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
番兵第二隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡城で戦死。享年25歳。
伊勢斉七(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十隊半隊長。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で負傷、26日没。享年26歳
上原直助(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第二隊。慶応四(1868)年7月29日越後福井村で戦死。享年28歳。
奥田佐太郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
奥山佐八郎とも。十番隊。慶応四(1868)年7月29日越後長岡で戦死。享年19歳。
久米田雄右衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月29日越後長岡で戦死。享年17歳。
田原与一郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月29日越後長岡城下柳原町で戦死。享年18歳。
堤彦太郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十四隊。慶応四(1868)年7月29日越後堀溝村で戦死。享年24歳。
林歳之丞(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月29日越後長岡で戦死。享年17歳。
甲斐彦左衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月29日越後長岡で負傷、8月1日没。享年21歳。
蒲池喜次郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十三隊。慶応四(1868)年8月1日越後五十嵐川田島渡し場で負傷、のち没。享年21歳。
児玉彦四郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月29日越後長岡で負傷、8月1日没。享年24歳。
島山鈔八郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十四隊。慶応四(1868)年7月29日越後下条で負傷、8月1日没。享年20歳。
伊地知彦治(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
番兵第二隊。慶応四(1868)年8月2日越後曲淵村で戦死。享年20歳。
宇都宮多聞院(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
番兵第二隊。慶応四(1868)年8月2日越後曲淵村で戦死。享年30歳。
鹿島喜十郎(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
番兵第二隊。慶応四(1868)年8月2日越後曲淵村で戦死。享年31歳。
能勢源左衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第七隊。慶応四(1868)年7月29日越後長岡で負傷、8月2日没。享年22歳。
平川藤兵衛(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
番兵第二隊。慶応四(1868)年8月2日越後曲淵村で戦死。享年22歳。
松下彦二(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
番兵二番隊。慶応四(1868)年8月2日越後曲淵村で戦死。享年20歳。
山口勇助(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十三隊。慶応四(1868)年7月29日越後福井村台場で負傷、8月3日没。享年27歳。
小浜喜八(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十三隊。慶応四(1868)年8月4日越後加茂口下条村で負傷、没。享年33歳。
川崎次郎太(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
外城第一隊。慶応四(1868)年8月4日越後福島村月津山中で戦死。享年36歳。
川俣平左衛門(東山区・東福寺即宗院/新潟県小千谷市・慈眼寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
小銃第十三隊。慶応四(1868)年8月4日越後加茂口下条村で負傷、のち没。享年18歳。
北越戦争での薩摩藩軍は黒田了介が率いていました。奇しくもこの方面は、後の内閣総理大臣に率いられていたことになります(第2代総理大臣黒田清隆、第3代・9代総理大臣山縣有朋)。もっとも黒田さんはどちらかというと、箱館戦争での活躍が目立っている感じで、北越では山縣さんの独壇場を許した印象があります。
それでも薩軍の犠牲は甚大なものです。写真を整理するだけでも一苦労でしたし。
それを東福寺即宗院の戦亡者碑をベースに、金谷山官軍墓地や船岡山官軍墓地の方々を配していくってのは結構気が遠くなる作業でしたねぇ。
いずれ新潟護国神社に行くことができたら、また墓碑を追加しないと…。
慶応四年 北越戦争 薩摩藩殉難者