小笠原朝之進(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年5月10日越後浦柄で戦死。享年不明。
西郷勇(新潟県長岡市・普済寺/新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年5月11日越後妙見で戦死。享年不明。
松井策之進(新潟県長岡市・蒼紫神社)
砲手伍長。慶応四(1868)年5月12日越後妙見口で戦死。享年不明。
吉田正次郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年5月13日越後朝日山で戦死。享年34歳。
赤柴五郎八(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年5月19日越後長岡城内御武芸役所で戦死。享年不明。
飯田直太夫(新潟県長岡市・蒼紫神社)
武器方頭取。慶応四(1868)年5月19日越後長岡城下御武芸役所で戦死。享年不明。
伊東道右衛門(新潟県長岡市・栄涼寺/新潟県長岡市・蒼紫神社)
砲士。慶応四(1868)年5月19日越後長岡城下発田で戦死。享年62歳。
長岡藩の中でも槍の遣い手として知られていたようで、北越戦争でも槍を振るって奮戦するも狙撃されて散ったそうです。
その法名は「義達院槍譽正道居士」。実直で剛毅な性格だった槍の達人らしい法名です。
稲垣安之丞(新潟県長岡市・蒼紫神社)
砲士。慶応四(1868)年5月19日越後長岡城下殿町で戦死。享年不明。
海老沢兼弥(新潟県長岡市・蒼紫神社)
隊外士分。慶応四(1868)年5月19日越後長岡城下寺島で戦死。享年不明。
尾井宇右衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
砲士。慶応四(1868)年5月19日越後蔵王村で戦死。享年不明。
片山直次郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年5月19日越後長岡城下で戦死。享年不明。
倉沢喜惣次(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃卒隊長。慶応四(1868)年5月19日越後長岡寺町辺で戦死。享年不明。
須藤武左衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
武器方。慶応四(1868)年5月19日越後長岡御武器役所焼失で焼死。享年不明。
高野秀山(新潟県長岡市・蒼紫神社)
隊外士分。慶応四(1868)年5月19日越後長岡城下今朝白縄手で戦死。享年不明。
武山千三郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年5月19日越後長岡蝋座土手で戦死。享年不明。
土屋彦太郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
隊外士分。慶応四(1868)年5月19日越後長岡兵学所橋付近で戦死。享年不明。
中島半太夫(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年5月19日越後長岡西神田丁で戦死。享年不明。
野村竜太郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年5月19日越後長岡呉服丁で戦死。享年不明。
平野銕之丞(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年5月19日越後長岡神田口門で戦死。享年不明。
平林味知右衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年5月19日越後長岡北御蔵前で戦死。享年不明。
村松一睡(新潟県長岡市・蒼紫神社)
隊外士分。慶応四(1868)年5月19日越後新保村で戦死。享年不明。
横山市郎右衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
慶応四(1868)年5月19日越後長岡城下で戦死。享年不明。
長谷川改之進(新潟県長岡市・蒼紫神社)
慶応四(1868)年5月24日越後杉沢で戦死。享年不明。
匹田幸太郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年5月24日越後杉沢で戦死。享年不明。
村上藤左衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
砲士伍長。慶応四(1868)年5月24日越後杉沢で戦死。享年不明。
渡辺善蔵(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年5月24日越後杉沢で戦死。享年不明。

伊東忠蔵(新潟県長岡市・栄涼寺/新潟県長岡市・蒼紫神社)
砲士。慶応四(1868)年5月26日越後文納で戦死。享年不明。
栄涼寺にある伊東道右衛門さんの墓碑には、もう一方慶応四(1868)年に戦死されたとおぼしき方の法名が刻まれていました。「忠戦院義譽大雄居士 五月廿六日」と。その日戦死されており、しかも法名の文字と合致する名の犠牲者が伊東忠蔵さんだったんです。伊東家では道右衛門さん以外にも犠牲者がいたのですね。残念ながらちょっと続柄までは調べられていません。
中島勇蔵(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月1日越後赤坂峠で戦死。享年不明。
福島友次郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月1日越後赤坂峠で戦死。享年不明。
斎田轍(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士隊隊長。慶応四(1868)年6月2日越後長岡北郊今町で戦死。享年不明。
中島安四郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月2日越後今町で戦死。享年不明。
古沢直三郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月2日越後今町で戦死。享年不明。
本木京五郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月2日越後今町で戦死。享年不明。
土屋五兵衛(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月4日越後葛巻地方で戦死。享年不明。
田中小太郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月7日越後大口で戦死。享年不明。
渋谷作之進(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月8日越後桂峠で戦死。享年不明。
武丈右衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月8日越後森立峠で負傷、9日没。享年不明。
草生鉄三郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月14日越後栃窪村で戦死。享年不明。
近藤平八(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月14日越後福井村で負傷、のち没。享年不明。
高井湧助(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月14日越後大黒村で戦死。享年不明。
福島静衛之助(新潟県長岡市・蒼紫神社)
伝令附属士。慶応四(1868)年6月14日越後大黒村で戦死。享年不明。
本間佐吉(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月14日越後栃窪村(土ケ谷とも)で戦死。享年不明。
吉田仙助(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。小隊司令。慶応四(1868)年6月14日越後栃窪村で戦死。享年不明。
藤井嘉平治(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月19日越後福井村で戦死。享年不明。
亀倉恭之進(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月22日越後福島村で戦死。享年不明。
長島金弥(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月22日越後福島村で戦死。享年不明。
原政之進(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月22日越後福島村で戦死。享年不明。
三間銑之助(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月22日越後福島村で戦死。享年不明。
宮岩太郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。小隊司令。慶応四(1868)年6月22日越後半蔵金で戦死。享年不明。
村松清太夫(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月22日越後半蔵金で戦死。享年不明。
山本清三郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年6月22日越後半蔵金で戦死。享年不明。
岡村友次衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月1日越後荷頃村で戦死。享年不明。
加藤五郎左衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月1日越後荷頃村で負傷、のち没。享年不明。
隅田鷹四郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月1日越後土ケ谷で戦死。享年不明。
滝沢準次(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月1日越後土ケ谷で戦死。享年不明。
竹垣録之助(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。小隊司令。慶応四(1868)年7月1日越後荷頃村で戦死。享年不明。
谷口茂(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月1日越後土ケ谷で戦死。享年不明。
大野禎助(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村で戦死。享年不明。
恩田久右衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
伝令。銃兵。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村で負傷、のち没。享年不明。
金津鮪ナ圭・新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村で負傷、のち没。享年30歳。
金津虎三郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村で戦死。享年不明。
中島文次郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村で戦死。享年22歳。
牧野勘兵衛(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。小隊司令。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村で負傷、のち没。享年34歳。
宮原岩次郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村で戦死。享年不明。
横山健三郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村で戦死。享年不明。
山本新吉(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月2日越後大黒村で負傷、3日没。享年不明。
竹垣鉱次郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月4日越後荷頃口砲台で戦死。享年不明。
磯貝粂之進(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃兵。慶応四(1868)年7月25日越後長岡城で戦死。享年不明。
伊藤礼蔵(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃兵。慶応四(1868)年7月25日越後長岡草生水村で戦死。享年不明。
井上繁之進(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後新保村で戦死。享年不明。
岩崎直吉(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日(20日とも)越後野崎村で戦死。享年不明。
大瀬銑蔵(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後福井村で戦死(浦瀬村で自刃とも)。享年不明。
太田権四郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後新保村(浦瀬村とも)で戦死。享年22歳。
太田直太郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後新保村で戦死。享年21歳。
加藤幾太郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
砲士。慶応四(1868)年7月25日越後長岡地蔵丁で戦死。享年不明。
鬼頭熊次郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後長岡新町村で戦死。享年不明。
八丁沖奇襲攻撃では先導として、河井総督以下の長岡藩軍の先頭に立って八丁沖を渡りました。その功績を顕彰して、日光社に石碑が建っています。
九里波之丞(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後長岡西神田で戦死。享年不明。
栂野半左衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
隊外士分。慶応四(1868)年7月25日越後長岡西神田で戦死。享年不明。
中川文蔵(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後長岡富島村で戦死。享年不明。
中島文次右衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
夫方差配。慶応四(1868)年7月25日越後長岡上田町で戦死。享年不明。
長島虎一(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後長岡新保村(浦瀬村とも)で戦死。享年不明。
永戸熊太郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後長岡栄涼寺前で戦死。享年不明。
能勢彦次(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後長岡新保村で戦死。享年不明。
樋宮寅太郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後長岡西神田で戦死。享年不明。
二見斧右衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後長岡新町丁口で戦死。享年不明。
松木四郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後草生水村で戦死。享年不明。
三間騎三太(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後長岡城下長丁で戦死。享年不明。
三間豊蔵(新潟県長岡市・普済寺/新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後新保村で戦死(負傷の上8月25日会津若松で没、あるいは浦瀬村で自害とも)。享年18。
三間矢治馬(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後長岡城下馬場丁で戦死。享年不明。
弓削貞太郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
隊外士分。慶応四(1868)年7月25日越後長岡城下西神田で戦死。享年不明。
九里孫次郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。小隊司令。慶応四(1868)年6月22日越後半蔵金で負傷、7月15日加茂で没。享年不明。
渡辺強次郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後長岡城下新町村で戦死。享年不明。
渡辺進(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士隊長。慶応四(1868)年7月25日越後長岡城下で戦死(29日草生水で負傷、8月4日吉ヶ平で没とも)。享年不明。
平林貞次(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月1日越後で捕えられ、25日殺害?。。享年不明。
岩崎丈左衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
伝令。慶応四(1868)年7月26日越後森立峠で捕えられ、軽井沢村で殺害。享年不明。
石垣浜之助(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後長岡城下(福井村とも)で戦死。享年不明。
稲葉弥太郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後片田村で戦死。享年不明。
大野治助(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後片田村で戦死。享年不明。
加藤弥左衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後長岡城下で戦死。享年不明。
九里幸三郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後福井村で戦死。享年不明。
桑原文左衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士小隊司令。慶応四(1868)年7月29日越後筒場村で戦死。享年不明。
酒井貞三(新潟県長岡市・長興寺/新潟県長岡市・蒼紫神社)
江戸に学び藩校崇徳館教授。。慶応四(1868)年恭順を主張して容れられず。決然参軍し、7月29日越後片田村で戦死。享年40歳。
長岡藩の恭順派でありながら、小千谷談判決裂となると一転長岡武士の意地を発揚させて戦場に身を投じました。
長岡にある河井継之助記念館には、酒井さんが起草した、河井総督の武装中立方針に反対し、河井総督を糾弾しつつ恭順を説く藩侯への建白書が展示されていました。
あそこまで激烈に批判しながら、よく他の恭順派のように藩を脱出せず、河井総督の下で戦ったものだと感動しました。戦場に出れば死ぬ確率だって高いのに、真逆の意見を持つ指揮官の下で働こうなんて、平和で身の危険が無くてもできるもんじゃないと思いますよ。
鈴木富三郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後福井村で戦死。享年不明。
須藤岩之助(新潟県長岡市・蒼紫神社)
隊外士分。慶応四(1868)年7月29日越後長岡城下で戦死。享年不明。
妹尾束(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後長岡城下で戦死。享年不明。
仙田隼人(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後片田村で戦死。享年不明。
田中信左衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後福井村で戦死。享年不明。
鳥山岩之丞(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後片田村で戦死。享年不明。
中島軍四郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
砲士。慶応四(1868)年7月29日越後長岡城内で自刃。享年不明。
名児耶林之丞(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後福井村で戦死。享年不明。
花輪彦左衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
用人、銃士隊長。慶応四(1868)年7月29日越後十日町村(片田村とも)で戦死。享年不明。
花輪秀八(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後福井村で戦死。享年不明。
福島織之丞(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃卒。慶応四(1868)年7月29日越後片田村で戦死。享年不明。
福田寅之助(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後豊詰村で負傷、見附で没。享年不明。
福原良右衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
弾薬方士分。慶応四(1868)年7月29日越後福井村で戦死。享年不明。
牧野金太郎(新潟県長岡市・普済寺/新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後福井村で戦死。享年17歳。
牧野十助(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後長岡発田で戦死。享年不明。
丸田覚左衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
兵糧方。慶応四(1868)年7月29日越後長岡城下北御蔵前で戦死。享年不明。
丸山斎悦(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後蛇山村(長岡城下とも)で戦死。享年不明。
村尾孫平太(新潟県長岡市・蒼紫神社)
隊外士分。慶応四(1868)年7月29日越後長岡城下大工町土手で戦死。享年不明。
山本伊助(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後蛇山村で戦死。享年不明。
和田忠九郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
弾薬方士分。慶応四(1868)年7月29日越後十日町で戦死。享年不明。
新井彦兵衛(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃兵。隊外士分。慶応四(1868)年7月25日長岡城下大工町で負傷、8月1日見附病院で自殺。享年不明。
篠原伊左衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃卒隊長。慶応四(1868)年7月25日越後長岡新町村で負傷、8月2日没。享年不明。
松本保右衛門(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後長岡城下今朝白丁で負傷、8月2日(26日とも)会津領坂下で没。享年不明。
市野又十郎(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後福井村で負傷、8月11日会津只見で没。享年不明。
河井継之助(新潟県長岡市・栄涼寺〔1〕/福島県只見町・医王寺〔2〕/福島県会津若松市・建福寺〔3〕/新潟県長岡市・蒼紫神社〔4〕)
長岡藩家老。嘉永五(1852)年江戸に遊学して斎藤拙堂の門に入り、ついで古賀茶渓の久敬学舎に入って海外の事情を学んだ。嘉永六(1853)年評定方随役に抜擢されたが上司と合わず、間もなく辞した。同年再び江戸に出、さらに備中国松山の山田方谷に学び、長崎に遊んで文久元(1861)年に長岡に帰った。元治元(1864)年郡奉行に登用され、慶応二(1866)年町奉行兼任、慶応三(1867)年年寄役、慶応四(1868)年家老に進んだ。その間財政・軍制の改革に見るべきものがあり、民政にも治績をあげた。戊辰戦争に当っては、継之助は江戸でガトリング砲をはじめとする新鋭の大砲・小銃を手に入れて長岡に帰り、藩主牧野忠訓をして中立を唱えしめたが、北陸征討軍の接近により態度決定を迫られ、5月2日小千谷にある山道軍に軍監岩村高俊を慈眼寺に訪ねて、その趣旨を弁明したが容れられず、談判は決裂した(小千谷談判)。その後いったん政府軍に占領された長岡城を、継之助の周到な計画のもとに再び奪還したが、その際負った傷がもとで会津に退く途中、8月16日大沼郡塩沢村に没した。享年42歳。
長いこと寝かしましたねぇ。
河井さんとの最初の接触は、2005年夏の会津遠征のときに建福寺で埋骨地に行った際のことでした。河井さんほどの大物ならば、すぐにでもお迎えしたいところでしたが、逆に河井さんほどの大物だからこそ、やはり会津塩沢の御墓と長岡の御墓を訪れてからにしようと思い・・・軽々5年の歳月が過ぎ去ってしまいましたよ。
そして訪れた会津塩沢・・・。その凄絶な環境ゆえに多分もう一生あそこに行くことは無いと思いますが、今でもよく生きて戻ってこれたものだと感心するほどです。
桑原良蔵(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後長岡城下長丁で負傷、8月21日会津若松で没。享年不明。
鈴木銕之進(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月25日越後長岡新町村で負傷、8月23日会津若松で没。享年不明。
前田雄之助(新潟県長岡市・蒼紫神社)
銃士。慶応四(1868)年7月29日越後土合村で負傷、8月23日若松で自刃。享年不明。
倉沢弥五兵衛(新潟県長岡市・蒼紫神社)
慶応四(1868)年戦死。享年不明。
長岡藩は徳川譜代の大名と
一方会津に逃れた長岡藩士は、そのまま会津戦争に参戦し、山本帯刀さんらのように戦死された方々もおられます。
そんなわけで、長岡藩士たちは会津戦争にも関わりを持つことになるため、ここに載せるにも北越戦争と会津戦争の間に境界線を引きました。
一応河井総督の没日以前を北越戦争と定義づけ、その期間内に戦死されたり、期間内に負った戦傷が元でのち戦死された方をここでは扱うこととします。ってことは・・・会津戦争長岡藩殉難者編を飯寺の戦い以外に作らなきゃいけないって事になるのよね・・・。
慶応四年 北越戦争 長岡藩殉難者