伊藤俊蔵(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で戦死。享年49歳。
大本昇(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で戦死。享年28歳。
清水甚蔵(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で戦死。享年25歳。
杉山篤太郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で戦死。享年28歳。
早川文蔵(新潟県柏崎市・柏崎招魂場/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年閏4月27日越後鯨波で戦死。享年16歳。
増野矢之助(新潟県柏崎市・柏崎招魂場/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年閏4月27日越後鯨波で戦死。享年17歳。
又右衛門(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
長府報国隊夫卒。慶応四(1868)年閏4月27日越後柳村で流れ弾に当たり戦死。享年不明。
山田藤五郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で戦死。享年19歳。
吉武五郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。第一大砲組。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で戦死。享年19歳。
児玉雷蔵(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年閏4月28日越後高田で陣没。享年21歳。
橋本久兵衛(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年閏4月27日越後小出島で負傷、29日没。享年23歳
元森熊次郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長州藩士。奇兵隊小隊司令。文久三(1863)年5月久坂玄瑞らに従って下関外船砲撃に加わり、ついで奇兵隊に入隊した。元治元(1864)年8月米仏蘭英四国連合艦隊の来航に出戦し、この冬恭順派が勢力を得るや、慶応元(1865)年正月美祢郡に出戦、その夏士籍に列せられた。慶応二(1866)年6月の幕長戦には豊前小倉城攻略に戦功をたてた、慶応四(1868)年4月討幕軍の奇兵隊書記となって入京、ついで隊長を兼ねて北越に出陣し、閏4月越後魚沼郡小出島に進み、堀内で流弾に当って負傷、ついで5月7日病院で治療中に死亡した。享年24歳。
久賀亀吉(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月6日越後椎谷で負傷、10日柏崎病院で没。享年23歳。
上田謙蔵(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月11日越後榎峠で戦死。享年20歳。
熊和惣五郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月11日越後榎峠で戦死。享年19歳。
高橋源吾(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月11日越後榎峠で戦死。享年17歳。
高橋五郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月11日越後榎峠で戦死。享年19歳。
堀尾六郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月11日越後榎峠で戦死。享年20歳。
無敵幸之進(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月11日越後榎峠で戦死。享年19歳。
山田梅吉(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場/)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月11日越後榎峠で戦死。享年24歳。
芳川道祐(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月12日越後榎峠で戦死。享年21歳。
末武省作(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月13日越後朝日山で戦死。享年19歳。
清八(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
高田西浜組夫卒。慶応四(1868)年5月13日越後榎峠で戦死。享年不明。
高橋淳太郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊嚮導。慶応四(1868)年5月13日越後朝日山で戦死。享年19歳。

竹様寄贈
時山直八(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地〔1〕/新潟県小千谷市・朝日山〔2〕/新潟県小千谷市・浦柄神社〔3〕/山口県萩市楞厳院〔4〕/山口県下関市・桜山招魂場〔5〕/山口県下関市・東行庵〔6〕)
長州藩士。嘉永三(1850)年。松下村塾に入って吉田松陰に学び、安政五(1858)年家督を継ぎ、翌年江戸に行き藤森弘庵・安井息軒に師事した。また久坂玄瑞と国事に奔走し、文久二(1862)年諸藩周旋掛となった。翌年の下関攘夷戦、元治元(1864)年の禁門の変に加わり。また英米仏蘭四国連合艦隊の下関戦争には奇兵隊の軍監となり、慶応二(1866)年の幕長戦には小倉口に戦った。明治元(1868)年奇兵隊参謀として北越に出征し、5月13日越後朝日山(長岡)において長岡藩兵と激戦の末戦死した。享年31歳。
時山さんには何故か「いぶし銀」の印象があります。派手に表には出ないけど、きっちり自分の役割をこなすといった風情は個人的にあこがれるものがあります。小説の書き方がそうなっているからですかね。いっぺん主役を張らせたどうなるか。妙な考えをおこしたくなる方です。

しかし謎なのは新潟の小千谷で見たある墓碑です。
朝日山の麓にある浦柄神社に建てられた墓碑。会津藩士の墓とされているのに、墓碑の横には「官軍参謀時山直八之碑」と刻まれてるんですよね。なぜ会津藩士の御墓に時山さんの名が・・・。謎です・・・。

この謎を解消してくださったのが戊辰掃苔録の管理人であらせられる竹様です。
あの朝日山に乗り込んで、山中の御墓を探し当て、時山さんのものだと確認してくださったわけです。
本当にお疲れさまでした。
おかげさまでようやく謎は解けました。
秦音之進(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。御蔵元付。慶応四(1868)年5月13日越後榎峠で戦死。享年19歳。
原井直助(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊嚮導。村田団蔵は変名。慶応四(1868)年5月13日越後妙見(榎峠とも)で戦死。享年28歳。
巳之助(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
奇兵隊付属新挙組。慶応四(1868)年5月13日榎峠で戦死。享年不明。
井上三郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月14日越後榎峠で戦死。享年25歳。
所光蔵(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月14日越後榎峠で戦死。。享年20歳。
長岡勘介(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月14日越後長岡(柏崎付近とも)で戦死。享年22歳。
平尾磯之助(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月14日越後榎峠で戦死。享年17歳。
森重謙介(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。徳山藩支配富海村の農。慶応四(1868)年5月14日越後市野坪で負傷、のち没。享年不明。
岡田辰太郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月16日越後榎峠で戦死。享年歳。
吉田三郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月16日越後榎峠で戦死。享年25歳。
矢野伊兵衛(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
装条銃中間。奇兵隊。慶応四(1868)年5月18日越後鬼倉山で戦死。享年34歳。
坂井栄太郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月19日越後長岡で戦死。享年18歳。
竹井満太郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月19日越後長岡で戦死。享年22歳。
友吉(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊付新挙組夫卒。慶応四(1868)年5月19日越後長岡で戦死。享年不明。
山中杢助(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月13日越後朝日山で負傷、5月23日没。享年19歳。
梅林芳助(山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月24日越後見附で戦死。享年21歳。
後藤酒兵衛(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月25日越後小栗山で戦死。享年20歳。
吉田喜三郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月25日越後小栗山で戦死。享年16歳。
井関和吉(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
装条銃中間。奇兵隊。慶応四(1868)年5月26日越後文納村で戦死。享年19歳。
勝原国介(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊半隊長。慶応四(1868)年5月26日越後金ヶ崎で戦死。享年20歳。
金山儀十郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月13日越後朝日山で負傷、26日同国小千谷病院で没。享年23歳。
山名孫八(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊五番小隊。慶応四(1868)年5月26日越後金ヶ崎で戦死。享年18歳。
箙梅吉(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場/)
長府報国隊五番小隊。慶応四(1868)年5月28日越後陣ヶ峰で戦死。享年22歳。
岡村常蔵(潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊五番小隊。慶応四(1868)年5月28日越後陣ヶ峰で戦死。享年29歳。
岡本勝右衛門(山口県下関市・桜山招魂場)
慶応四(1868)年5月28日越後今ヶ崎で戦死。享年27歳。
中村広太郎(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月28日越後与板で戦死。享年36歳。
平野耕蔵(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。五番小隊。慶応四(1868)年5月28日越後金ヶ崎で戦死。享年31歳。
深津新吉(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊五番小隊。慶応四(1868)年5月28日越後陣ヶ峰で戦死。享年19歳。
三井熊吉(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月28日越後本与板で戦死。享年22歳。
江見謙介(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊五番小隊。慶応四(1868)年5月29日越後陣ヶ峰で戦死。享年20歳。
国重直人(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場/)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月29日越後魚沼郡差出村で戦死。享年26歳。
寺岡軍一(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年6月1日越後杉沢で負傷、のち死。享年29歳。
安部清見(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月26日越後文納村で負傷、6月2日柏崎病院で没。享年21歳。
上領重蔵(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年6月2日越後今町で戦死。享年21歳。
国島栄蔵(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年6月2日越後今町で負傷、死。享年24歳。
熊野直介(新潟県上越市・金谷山官軍墓地〔上〕〔中〕/山口県下関市・桜山招魂場〔下〕)
長府藩士。報国隊軍監。文久元(1861)年長府藩校敬業館に入り、文久三(1863)年藩主の上京に陪従し、攘夷の勅下り、泉十郎・有川恒槌らの編成した精兵隊に入って文武を講究した。元治元(1864)年3月福原和勝らと藩中の童幼を訓督するために集童場を設け、その総管となり、また慶応元(1865)年正月報国隊の編成に参与した。同年4月から12月の間、記録所預・当職手元役を勤めて藩政に参与した。翌慶応二(1866)年の幕長戦に報国隊軍監として奇兵隊と共に豊前に転戦した。慶応四(1868)年戊辰戦争に報国隊を率いて北越に出兵し、越後長岡城を攻略、次いで6月2日今町に奇兵隊を赴援して戦死した。享年22歳。
石井兵造(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年6月9日越後陣ケ峰で戦死。享年22歳。
阿部直人(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年6月2日越後今町で負傷、10日柏崎病院で没。享年16歳。
榎本誠藏(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年6月12日越後陣ケ峰で戦死。享年18歳。
滝川六郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊半隊長。慶応四(1868)年6月12日越後十二潟で戦死。享年21歳。
吉村盛之助(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊第一大砲組。慶応四(1868)年5月13日越後朝日山で負傷、6月13日同国小千谷病院で没。享年19歳。
吉崎常吉(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月18日越後榎峠で負傷、6月14日没。享年18歳。
徳永九十九(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年6月15日越後桂峠で負傷、16日没。享年19歳。
福田儀作(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年6月15日越後桂峠で負傷、18日没。享年26歳。
長綱滝吉(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。磐石隊。慶応四(1868)年6月19日越後十二潟で戦死。享年34歳。
坂本伊三郎(山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月28日越後陣ケ峰で負傷、6月20日没。享年21歳。
福井太郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
長州藩士。干城隊小隊司令。安政四(1857)年春父に従い江戸に行き、翌春帰藩、ついで長崎に行き蘭人から銃陣を伝習し、帰藩後に練兵教授役となった。文久三(1863)年壬戌丸乗組みを命ぜられ、外船砲撃の際に士官に任じ、同年冬同志25人と山口に入り、藩主毛利敬親の厚遇を受けた。元治元(1864)年世子の上京に大組物頭役として随従、禁門の変に免職。その後藩主の近侍、三田尻新足軽中隊長となり、さらに干城隊の上席に推された。慶応四(1868)年戊辰戦争に越後に出征し、干城隊一中隊を率いて長岡に戦い、6月21日稲葉村の激戦に戦死した。享年29歳。
河田源太郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
報国隊。慶応四(1868)年6月22日越後半蔵金村で戦死。享年25歳。
下田小太郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
報国隊。慶応四(1868)年6月22日越後半蔵金村で戦死。享年20歳。
畠中孫助(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年6月22日越後半蔵金村で戦死。享年27歳。
小枝祥之助(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月13日越後朝日山で負傷、6月23日高田病院で没。享年26歳。
作馬友槌(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年6月25日越後亀貝村で戦死。享年30歳。
金山儀十郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月13日越後朝日山で負傷、6月26日同国小千谷病院で没。享年23歳。
田北次郎鶴(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場/)
干城隊。慶応四(1868)年6月26日越後福島水門で戦死。享年16歳。
三井絃二郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊嚮導。慶応四(1868)年5月13日越後朝日山で負傷、6月29日没。享年25歳。
上田八十郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月2日越後福島で病死。享年18歳。
江川市之助(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月2日越後十二潟で戦死。享年19歳。
北村熊太郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月2日越後福島で戦死。享年18歳。
草刈右衛門七(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月2日越後福島水門で戦死。享年29歳。
佐方内蔵之丞(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月2日越後福島水門。享年27歳。
高村助之進(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊伍長。慶応四(1868)年7月2日越後福島水門で戦死。享年20歳。
竹内作次郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月2日越後福島水門で戦死。享年18歳。
張司馬(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊諸役欠替。慶応四(1868)年7月2日越後福島水門で戦死。享年40歳。
羽仁又左衛門(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊押伍。慶応四(1868)年7月2日越後福島水門で戦死。享年20歳。
増野栄蔵(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月2日越後福島水門で戦死。享年20歳。
堀潜太郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県萩市・護国山墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長州藩士。奇兵隊書記兼小隊司令。文久三(1863)年奇兵隊創設以来その書記兼小隊司令を勤め、同年および元治元(1864)年の下関攘夷戦、慶応元(1865)年藩内の内訌戦、慶応二(1866)年幕長戦の豊前小倉攻撃に参加して戦功をたて、ついで慶応四(1868)年4月越後口征討軍に従って各所に転戦、6月出雲崎から三条口に進軍したが、敵兵の突撃にあって戦況不利となり、今町の敵塁で重傷を負い、柏崎病院で治療中の7月2日死亡した。享年27歳。
服部亀太郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月3日越後水門で戦死。享年25歳。
上原二九郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月18日越後見附で負傷、7月4日柏崎病院で没。享年35歳。
山下範三郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
益田主殿家来。慶応四(1868)年7月4日越後乙茂村で戦死。享年28歳。
湯浅省三郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地〔上〕〔下〕)
干城隊補助長官。慶応四(1868)年7月2日越後水門で負傷。4日没。享年24歳。
横山猪三郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊分隊長。慶応四(1868)年7月4日越後福島花見沢で戦死。享年19歳。
吉津定吉(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年7月7日越後半蔵金で負傷、のち死亡。享年21歳。
長尾兵馬(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年7月1日越後古志郡西中ノ股で負傷、8日同国高田病院で没。享年26歳。
村岡彦十郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場/)
奇兵隊。慶応四(1868)年7月10日越後陣ケ峰で傷死。享年30歳。
乃美助十郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地〔1〕〔2〕)
干城隊。慶応四(1868)年6月22日越後福島村で負傷、7月13日同国高田病院で没。享年20歳。
杉山清兵衛(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月2日越後桂峠で負傷、14日同国高田病院で没。享年20歳。
大藤季吉(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年6月14日越後大黒村で負傷、7月15日没。享年20歳。
三浦政三郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊小隊司令。慶応四(1868)年7月2日越後福島で負傷、16日同国高田病院で没。享年29歳。
宇野重之助(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊分隊長。慶応四(1868)年6月22日越後福島で負傷、7月17日高田病院で没。享年22歳。
伊木勢三郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月4日越後桂峠で負傷、20日高田病院で没。享年32歳。
古賀牧太(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
御船頭稽古扶持取。「第一丁卯」三等士官。越後出陣中発病。慶応四(1868)年7月21日同国柏崎病院で病死。享年25歳。
阿川五郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地〔上〕/山口県下関市・乗蓮寺〔中〕/山口県下関市・桜山招魂場〔下〕)
長府報国隊。慶応四(1868)年7月22日越後与板赤田山で戦死。享年20歳。
能見平吾(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊小隊長。諸戦に従軍。慶応四(1868)年6月1日越後赤坂で負傷、7月22日同国柏崎病院で没。享年26歳。
三浦平之助(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月13日越後朝日山で負傷、7月22日没。享年22歳。
河野三郎(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年7月20日与板で負傷、23日没。享年不明。
原新兵衛(山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年7月24日越後長岡で戦死。享年26歳。
原田幸三郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場/)
奇兵隊。慶応四(1868)年7月24日越後出雲崎病院で病死。享年20歳。
一本木寅太郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊属兵。慶応四(1868)年7月25日越後桂峠で戦死。享年16歳。
大崎源吾(山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で戦死。享年18歳。
杉村梅五郎(山口県下関市・桜山招魂場)
第一砲隊組。慶応四(1868)年7月25日越後古志郡妙見村で戦死。享年35歳。
藤井直江(山口県下関市・桜山招魂場)
藤井直江。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で戦死。享年23歳。
藤川清次(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊二番砲隊伍長。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で戦死。享年20歳。
藤田育太郎(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年7月25日越後長岡で戦死。享年24歳。
篠原平蔵(新潟県長岡市・西妙寺)
深栖多門家来。慶応四(1868)年7月26日越後大島村で戦死。享年歳。
清助(新潟県長岡市・西妙寺/新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
奇兵隊馬丁。慶応四(1868)年7月26日越後関原で戦死。享年不明。
竹森源次(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年7月25日長岡で負傷、26日柏崎病院で没。享年25歳。
渡辺清次郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月26日越後桂峠で戦死。享年17歳。
北村忠蔵(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
長府藩士。報国隊。慶応四(1868)年7月4日越後長岡で負傷、27日没。享年26歳。
熊野百三郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月29日越後長岡で戦死。享年30歳。
三浦雄太郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月29日越後長岡で戦死。享年17歳。
御郷市郎(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地)
干城隊半隊司令。慶応四(1868)年7月29日越後十日町で戦死。享年19歳。
島弥太郎(山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年8月1日越後津川口赤坂で戦死。享年22歳
榊原剛之助(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年8月2日越後蒲原郡月岡で戦死。享年22歳。
弥三郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
奇兵隊付新挙組夫卒。慶応四(1868)年夏越後で負傷、8月2日同国高田病院で没。享年21歳。
吉村虎吉(新潟県小千谷市・船岡山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年8月2日越後今町で戦死。享年31歳。
田中新次郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊斥候嚮導。慶応四(1868)年7月25日越後亀崎で負傷、8月4日同国高田病院で没。享年21歳。
藤井市郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
慶応四(1868)年8月2日越後月岡で負傷、4日同国柏崎病院で没。享年19歳。
 
田中初太郎(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年5月28日越後与板で負傷、8月8日没。享年不明。
中所兵吾(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月29日越後妙見坂で負傷、8月9日同国高田病院で没。享年24歳。
能見益雄(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
振武隊(浩武隊とも)。慶応四(1868)年8月10日越後蒲原郡佐取村で戦死。享年25歳。
林貫一(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
振武隊小隊司令。慶応四(1868)年8月10日越後佐取村で戦死。享年24歳。
粟屋虎之丞(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
慶応四(1868)年7月29日越後長岡近郊で負傷、8月11日没。享年18歳。
井上奬輔(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
振武隊砲隊長。初め松下村塾に入り、文久三(1863)年6月下関に行き奇兵隊へ入隊、ついで選ばれて京都守衛の任についたが、八月十八日の政変によって帰国した。元治元(1864)年7月藩主訴冤のためまた上京したが、禁門の変に堺町門で負傷して帰国、治癒して振武隊に入り、砲隊長になった。慶応元(1865)年1月恭順派政府軍と美祢郡で戦い、慶応二(1866)年6月幕長戦に石州口浜田城を攻略、慶応四(1868)年4月北陸征討軍として出征し、8月12日越後蒲原郡石間村の激戦で戦死を遂げた。享年26歳。
玉江芳彦(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年8月2日越後月岡で負傷、12日同国柏崎病院で没。享年18歳。
山下治郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年8月2日越後出雲崎で負傷、12日同国柏崎病院で没。享年22歳。
向田礼蔵(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
振武隊嚮導。慶応四(1868)年8月13日越後村松で負傷、のち死亡。享年35歳。
竹本多門(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
振武隊中隊長。元治元(1864)年振武隊に入って小隊長となり、、慶応元(1865)年恭順派政府軍を美祢郡絵堂で破った。慶応二(1866)年の幕長戦に石見に進軍して浜田城を攻略し、慶応四(1868)年討幕軍として鳥羽・淀城を陥れ、一旦帰国し、振武隊中隊長に進んだ。ついで越後口に出陣し、同年7月越後古志郡十日町の戦いで敵弾に当って負傷し、一旦絶命しかけたがまた蘇生し、柏崎病院に入院中の8月14日死亡した。享年25歳。
柳原兵衛(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
振武隊輜重方助役。慶応四(1868)年7月25日越後長岡一ノ貝で負傷、8月14日高田病院で没。享年29歳。
榎本市郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場/)
干城隊。慶応四(1868)年7月20日越後長岡で負傷、8月15日同国高田病院で没。享年18歳。
片野一郎(新潟県柏崎市・柏崎招魂場)
振武隊。慶応四(1868)年8月10日越後佐取村で負傷、15日柏崎病院で没。享年22歳。
守田好次郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年8月4日越後村松で負傷、15日同国柏崎病院で没。享年18歳。
宮本和七(新潟県上越市・金谷山官軍墓地〔上〕〔中〕)
振武隊。慶応四(1868)年7月29日越後下条村で負傷、8月16日同国柏崎病院で没。享年35歳。
江原久太郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地〔1〕〔2〕)
第二大砲組。干城隊付属斥候隊。慶応四(1868)年7月25日越後亀崎で負傷、8月17日同国柏崎病院で没。享年23歳。
香取熊之助(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊付斥候隊。慶応四(1868)年7月29日越後古志郡妙見で負傷、8月17日没。享年41歳。
長簔次郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月1日越後一ノ貝村で負傷、8月17日同国高田病院で没。享年22歳。
草刈百合之助(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場/)
干城隊分隊長。慶応四(1868)年7月29日越後古志郡妙見で負傷、8月19日同国高田病院で没。享年20歳。
林英太郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地〔上〕〔中〕)
干城隊分隊長。慶応四(1868)年7月1日越後森立峠で負傷、8月18日同国高田病院で没。享年24歳。
吉村重槌(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年8月12日越後小千谷で負傷、18日同国三条病院で没。享年21歳。
沓屋兵衛(新潟県上越市・金谷山官軍墓地〔上〕〔中〕/山口県防府市・防府市護国神社〔下〕)
干城隊補助長官。慶応四(1868)年8月19日越後福島で負傷、のち死亡。享年25歳。
益田与三(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊分隊長。慶応四(1868)年7月29日越後妙見坂で負傷、8月20日同国高田病院で没。享年29歳。
河崎八郎(山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年8月22日越後津川で負傷、のち没。享年20歳。
藤重源九郎(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年8月15日越後荒谷で負傷、22日没。享年28歳。
片岡金八(新潟県上越市・金谷山官軍墓地〔上〕〔中〕)
振武隊。慶応四(1868)年7月29日越後下条村で負傷、8月23日同国柏崎病院で没。享年23歳。
児玉五郎兵衛(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊分隊長。慶応四(1868)年7月29日越後長岡で負傷、8月24日病院で没。享年27歳。
松田新兵衛(山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年8月25日越後津川で戦死。享年20歳。
村木卯吉(新潟県柏崎市・柏崎招魂場)
干城隊付斥候隊。慶応四(1868)年8月25日越後柏崎病院で病没。享年33歳。
 
細川清若(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊。慶応四(1868)年8月26日新潟病院で病死。享年23歳。
岡本勝熊(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。慶応四(1868)年5月28日越後陣ケ峰で負傷、9月5日没。享年27歳。
河越隼人之助(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月2日越後福島水門で負傷、9月5日同国高田病院で没。享年19歳。
糸永五郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月29日越後長岡で負傷、9月14日同国高田病院で没。享年19歳。
吉田要輔(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊半隊司令。慶応四(1868)年7月29日越後六日市で負傷、9月14日同国高田病院で没。享年24歳。
直江政吉(山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊。東北征戦後明治元(1868)年9月18日下関で病死。享年不明。
本田六郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地/山口県防府市・桑ノ山墓地)
振武隊。慶応四(1868)年7月29日越後下垂村で負傷、9月19日同国高田病院で没。享年32歳。
南方五郎(新潟県柏崎市・柏崎招魂場)
干城隊。明治元(1868)年9月20日越後柏崎病院で病没。享年33歳。
湯浅武造(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊。慶応四(1868)年7月1日越後一ノ貝で負傷、9月20日同国高田病院で没。享年22歳。
井上弥八郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
干城隊小隊司令。慶応四(1868)年7月29日越後長岡で負傷、10月5日同国高田病院で没。享年27歳。
平野捨五郎(新潟県上越市・金谷山官軍墓地)
精鋭隊小隊司令。慶応四(1868)年7月29日越後長岡で負傷、10月9日同国高田で没。享年36歳。
深山行蔵(新潟県柏崎市・柏崎招魂場)
明治元(1868)年11月6日柏崎病院にて没。享年26歳。
寺山伊勢之丞(新潟県柏崎市・柏崎招魂場)
振武隊。越後戦線で罹患、明治元(1868)年12月20日柏崎病院で没。享年22歳。
会津征討のため、長岡藩にも恭順を求める新政府と、長岡藩を味方につけて越後方面で防衛線を構築したい会津藩。双方の思惑に対して長岡藩が採ったのは双方に与しない「局外中立」でした。
慶応四(1868)年5月2日、西軍と交渉に及んだ長岡藩総督河井継之助さんは、交渉が決裂するに及び、奥羽列藩同盟に加入して北越戦争が始まったのです。

北越戦争において西軍の主力となったのは軍監山縣有朋率いる長州藩兵と、軍監黒田清隆率いる薩摩藩兵でした。
したがって両藩の人的損害も大きくなったのです。

そんなわけで新潟県には上越市金谷山・柏崎市・小千谷市船岡山・新潟市常盤岡に官軍墓地が設けられています。2010年春にこのうちの3つを一気に巡ったのですが…身をもってその多さを実感しましたよ。
慶応四年 北越戦争 長州藩