飯田梅之進(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年6月17日豊前田ノ浦で戦死。享年26歳。
勝田弥九郎(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年6月17日豊前田ノ浦で戦死。享年17歳。
園田伝吉(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年6月17日豊前円山砲台で戦死。享年25歳。
中井源二郎(山口県下関市・乗蓮寺/山口県下関市・桜山招魂社)
長府報国隊。慶応二(1866)年6月17日豊前田ノ浦で戦死。享年18歳。
中村元之進(山口県下関市・桜山招魂社〔左〕/長府市・大乗寺〔右〕)
奇兵隊士。慶応元(1865)年2月8日、志願して入隊。慶応二(1866)年二番砲隊に属して小倉戦争に出征し、6月17日、18人で小舟に乗り門司より下関へ帰る途中、庚申艦に接触して海中に沈没、行方不明となり田ノ浦にての戦死扱いとされる。享年26歳。
橋本寅蔵(山口県下関市・桜山招魂社〔左〕/長府市・大乗寺〔右〕)
奇兵隊士。慶応二(1866)年砲隊に属し小倉戦争に出征。6月17日、18人で小舟に乗り門司より下関へ帰る途中、庚申艦に接触して海中に沈没、遺体は21日に長府浜に流れ着いた。享年28歳。
山崎四方七(山口県下関市・了円寺/山口県下関市・桜山招魂社)
「癸亥丸」艦砲司令。慶応二(1866)年6月17日豊前田ノ浦で戦死。享年不明。
阿川四郎(山口県下関市・法専寺〔1〕/山口県下関市・東行庵〔2〕/山口県下関市・桜山招魂社〔3〕/山口県山口市・三本木霊園〔4〕)
四番隊司令。足軽。文久三(1863)年6月、奇兵隊が結成されるや入隊する。四国連合艦隊との戦い、大田絵堂の戦いなどで功があり。慶応元(1865)年1月23日より林半七に替わって槍隊長となる。同年3月25日第五銃隊が編成されるやその長となり、慶応二(1866)年、四番小隊司令として四境戦争(小倉口の戦い)に出征するも、7月3日の豊前大里の戦いで負傷翌日豊浦郡小月村で没した。。享年25歳。
伊藤寅松(山口県下関市吉田・常関寺〔上〕/山口県下関市・桜山招魂社〔中〕/山口県宇部市・宇部護国神社〔下〕)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月3株全大里で負傷、4日吉田病院で死。享年20歳。
今井満太郎(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
正名団隊士。厚狭郡吉田村下川久保の人。慶応二(1866)年、14歳のころ幕軍襲来の際、吉田の領主だった長州藩士山内家の家臣たちで結成された正名隊に入隊するため15歳と偽って出征。7月3日豊前国大里で負傷、長府松小田まで戸板に乗せられて帰ってくるも息絶えた。享年14歳。
下村文次郎(山口県下関市・功山寺/山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊六番小隊司令。慶応二(1866)年7月3日、小倉方の将渋田見舎人の軍勢を大里海岸の松原に追撃中、敵弾に当り戦死。享年24歳。
隅次郎(山口県下関市赤間町・本行寺/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月3日豊前馬寄村で戦死。享年20歳。
徳永権次郎(山口県下関市・乗蓮寺/山口県下関市・桜山招魂社)
報国隊押伍。長府藩郷士。慶応二(1866)年7月3日豊前大里海岸の松原で小隊長下村文次郎指揮の下、小倉勢を追撃中に敵弾に当り戦死。享年26歳。
萩原次郎右衛門(山口県下関市・桜山招魂社
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年7月3日豊前大里で戦死。享年24歳。
本田三郎(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年7月3日豊前大里で負傷、死。享年19歳。
本田寅之助(山口県下関市吉田町・常関寺/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月3日豊前大里で負傷、4日吉田で死。享年20歳。
渡邊逸蔵(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
正名団隊士。吉田村貞恒の人。慶応二(1866)年、四境戦争(小倉口の戦い)に出征し、7月3日豊前田ノ浦で負傷、吉田病院に入るも7月10日に死去。享年27歳。
権右衛門(山口県下関市吉田町・常関寺)
「庚申丸」水夫。慶応二(1866)年6月17日豊前大里で負傷、7月17日吉田病院で没。享年27歳。
秋枝庄太郎(山口県下関市・了円寺/山口県下関市・桜山招魂社)
毛利左門家来。慶応二(1866)年7月27日豊前大谷越で負傷、28日下関で死。享年36歳。
阿部宗兵衛(山口県下関市赤間町・本行寺/山口県下関市・桜山招魂社)
装条銃中間。奇兵隊半隊司令。慶応二(1866)年7月27日豊前赤坂で負傷、10月20日下関で死。享年23歳。
飯田幸十郎(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。長府の人。慶応二(1866)年3月6日、奇兵隊に入り、同年7月27日小倉口赤坂の戦いで負傷後、小月の吉田病院で没した。享年30歳。
石田幾次郎(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前赤坂で戦死。享年38歳。
入船米吉(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年7月27日小倉新町で戦死。享年26歳。
梅津熊之進(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。須佐益田家来。慶応二(1866)年7月27日豊前赤坂越で負傷、死。享年25歳。
春日与七(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前赤坂鳥越で戦死。享年27歳。
金田恒吉(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前八丁越で戦死。享年32歳。
河崎友次郎(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前大谷越で戦死。享年19歳。
工藤合輔(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前八丁越で戦死。享年29歳。
黒塚源吾(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前大谷越で戦死。享年23歳。
重富秀之進(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前馬寄村で戦死。享年16歳。
関口弥太郎(山口県下関市赤間町・本行寺/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。第二大砲組。慶応二(1866)年7月27日豊前馬寄村で戦死。享年28歳。
橘式部(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前赤坂鳥越で戦死。享年17歳。
徳見与五郎(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前赤坂鳥越で戦死。享年18歳。
中村水穂(山口県下関市赤間町・本行寺/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前赤坂鳥越で戦死。享年不明。
野上繁九郎(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前赤坂で戦死。享年21歳。
平賀惣四郎(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
正名団隊士。吉田村貞恒の人。慶応二(1866)年、四境戦争(小倉口の戦い)に従軍し7月27日豊前赤坂で戦死した。享年46歳。
福田忠蔵(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前新町で戦死。享年18歳。
福間辰之助(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
正名団隊士。吉田村貞恒の人。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に出征し、7月27日豊前国赤坂で戦死。享年32歳。
藤永政助(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前大谷越で戦死。享16歳。
藤野浪太郎(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前赤坂鳥越で戦死。享年19歳。
村上小次郎(山口県下関市赤間町・本行寺〔上〕/山口県下関市・桜山招魂社〔中〕/山口県宇部市・宇部護国神社〔下〕)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前馬寄村で負傷、戦死。享年24歳。
森永光之進(山口県下関市赤間町・本行寺/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前赤坂で戦死。享年25歳。
矢玉助太郎(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前馬寄村で戦死。享年不明。
山尾謙次(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊。慶応二(1866)年7月27日豊前大谷で戦死。享年25歳。
山城平吉(山口県下関市・了円寺/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前赤坂鳥越で戦死。享年19歳。
山田鵬輔(福岡県北九州市門司区・赤坂墓地/山口県下関市・桜山招魂社/山口県下関市・本行寺)
奇兵隊小隊司令。宍戸備前家来。慶応元(1865)年1月の大田・絵堂の戦いでは、弊降坂の決戦で突撃して勇名をとどろかす。同年11月8日砲護隊司令士を命ぜられ、慶応二(1866)年6月小隊一手司令として小倉口へ出陣。7月27日鳥越千畳敷砲台で戦死。享年不明。
山本宗之進(山口県下関市・本行寺)
忠告隊士。慶応二(1866)年7月27日、富野台で戦死。享年不明。
長府屋由五郎(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊夫卒。下関外浜町の商。慶応二(1866)年7月27日豊前八町越で負傷、28日同新町で死。享年不明。
原田政之進(山口県厚狭郡・厚狭護国神社)
厚狭毛利家家臣。南十一大隊夫卒。小倉戦争に従軍し、豊前大里で小倉藩兵に捕えられて行方知れず。享年28歳?。
堀滝太郎(山口県下関市・常関寺/山口県下関市・桜山招魂社)
供徒士。文久三(1863)年奇兵隊に入り、半隊司令。慶応二(1866)年7月27日豊前大里で負傷、29日吉田病院で死。享年23歳。
古川順蔵(山口県下関市吉田・常関寺/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。五番銃隊に属す。元治元(1864)年7月22日、攘夷戦争を前に庄屋を通じての勧誘で入隊し、8月角石で戦う。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に出征して7月27日、豊前国大谷口の戦いで重傷を負い8月1日吉田病院で死亡。享年28歳。
松原与兵衛(山口県下関市吉田・常関寺〔上2つ〕/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月22日豊前大谷越で負傷、8月8日吉田病院で死。享年27歳。
大枝八郎(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年8月11日豊前太貫山で戦死。享年26歳。
二歩荘之介(山口県厚狭郡・厚狭護国神社)
厚狭毛利家家臣。南十一大隊。小倉戦争に出征し、8月11日曽根にて戦死。享年26歳。
原勝蔵(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年8月11日豊前岸村土民に襲われ死す。享年20歳。
馬屋原彦右衛門(山口県下関市・桜山招魂社)
福原五郎家来。奇兵隊読書掛。慶応二(1866)年豊前で戦い、8月12日宇部の自宅で病死。享年不明。
山形屋甚兵衛(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊夫卒。下関奥小路の商。慶応二(1866)年8月12日豊前曽根村で戦死。享年不明。
小野万蔵(山口県厚狭郡・厚狭護国神社)
厚狭毛利家家臣。南十一大隊。慶応二(1866)年8月17日曽根にて戦死。享年17歳。
静間弥寿太(山口県厚狭郡・厚狭護国神社)
厚狭毛利家家臣。南十一大隊一番小隊嚮導。小倉戦争に出征し、慶応二(1866)年8月17日(9月27日とも)に戦死。享年不明。
武永孫六(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年8月17日豊前太貫山で戦死。享年35歳(26歳とも)。
永山勝四郎(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年8月17日豊前太貫山で戦死。享年26歳(35歳とも)。
国弘熊吉(山口県厚狭郡・厚狭護国神社)
厚狭毛利家家臣。南十一大隊夫卒。慶応二(1866)年8月18日(9月18日とも)小倉にて戦死。享年不明。
利吉(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊小使い。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に従軍し、6月29日戦功により金百疋を賜るも病に罹り、8月21日馬関で没した。享年不明。
伊藤禎蔵(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊騎馬斥候。文久三(1863)年8月19日に命じられて入隊し、騎馬の係を務める。四国連合艦隊との攘夷戦や太田絵堂の戦いで戦功を立てるも、慶応元(1865)年7月23日親が病気との理由で帰省した後、諸所を徘徊した罪により除隊を命じられた。しかし慶応二(1866)年6月7日、奇兵隊が対幕府戦のため知り馳せ参じ、器械之局に留められる。8月17日豊前太貫山で負傷、21日死。享年31歳。
関謙三(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊。慶応二(1866)年7月27日豊前赤坂で負傷、8月24日下関で戦死。享年22歳。
久松(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社〔下2つ〕)
奇兵隊付郷侠組。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に出兵し8月20日、小倉曽根口で負傷後、、9月7日吉田病院で死。享年不明。
西山八郎(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。大島郡横見村の農。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に出征するも病に罹り、小月の吉田病院において9月8日没。享年不明。
伯野浪江(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。宍戸備前家来。小倉出陣中罹病、慶応二(1866)年9月8日吉田病院で死。享年不明。
原勝之進(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。萩藩士粟屋縫殿組の足軽。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に出征し8月23日、豊前国大貫山で負傷。9月8日、小月の吉田病院で没。享年21歳。
伊藤清次(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。吉敷郡鋳銭司村の農。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に出征するも病に罹り、小月の吉田病院において9月9日没。享年43歳。
松次郎(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊小使。慶応二(1866)年小倉出陣罹病。9月9日下関で死。享年不明。
内田文吉(山口県下関市吉田・法専寺/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年4月17日、いわゆる倉敷暴動事件に参加すべく脱隊した奇兵隊士を捕えるため出張し、23日に帰陣。28日に脱退した波多野重吉の切腹を介錯する。四境戦争(小倉口の戦い)に出征、7月22日豊前赤坂で負傷、9月9日吉田で死。享年33歳。
日下房助(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年8月17日豊前太貫山で負傷、9月9日死。享年15歳。
御手洗音五郎(山口県下関市吉田・法専寺/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応元(1865)年8月8日入隊。慶応二(1866)年4月17日、倉敷暴動に参加すべく脱走した隊士の追っ手となる。同年、小倉戦争に出征し、8月17日豊前太貫山で膝上に銃弾の貫通を受け負傷、9月9日(19日とも)死。享年21歳。
弘岡三吾(山口県厚狭郡・厚狭護国神社)
厚狭毛利家家臣。南十一大隊。慶応二(1866)年8月小倉戦争出征中罹患、9月11日没。享年31歳。
本郷志摩之助(山口県下関市吉田・常関寺/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月3日豊前大里で負傷、9月12日死。享年不明。
千葉三郎(山口県下関市・桜山招魂社)
長府報国隊士。慶応二(1866)年夏、小倉戦線で発病、9月16日下関で死。。享年16歳。
山田捨之進(山口県厚狭郡・厚狭護国神社)
厚狭毛利家家臣。南十一大隊一番小隊。小倉戦争に出征し慶応二(1866)年8月17日、豊前下曽根で負傷。9月13日、吉田病院で死去。享年20歳。
藤野正助(山口県下関市小月・東行庵〔上2つ〕/山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。。慶応二(1866)年夏、小倉戦線で発病、9月16日下関で死。享年20歳。
柳良平(山口県下関市吉田・法専寺/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年9月16日小倉出陣中病死。享年33歳。
杉山源太郎(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年小倉出陣中罹病。9月17日自宅で死。享年17歳。
高橋市之進(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。御細工人。慶応二(1866)年小倉出陣中罹病。9月17日自宅で死。享年不明。
和田十郎(山口県下関市吉田・法専寺/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年6月18日、奇兵隊が長府在陣中に馳せ参じ、そのまま入隊。9月17吉田病院で落命。享年33歳。
藤岡三右衛門(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。一番小隊三ノ伍に属す。大津郡俵山の人。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に出征するも9月20日に病死したという。享年30歳。
和田三郎(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。益田家家来。慶応二(1866)年小倉出陣中病、9月20日死。享年30歳。
椙山重吉(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。小倉出陣中病み、慶応二(1866)年9月21日吉田病院で死。享年19歳。
利吉(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊別当。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に従軍中に病に罹り、9月21日(9月24日とも)馬関で没。享年不明。
乃木数馬(山口県下関市小月・東行庵)
正名団隊士。吉田村国成の人。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に出征して負傷、9月23日吉田病院で死亡。享年不明。
大野秀之輔(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応三(1867)年9月24日豊前にて病没。享年32歳。
泉光蔵(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊。慶応二(1866)年9月25日豊前城野新町で戦死。享年33歳。
升見栄作(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊。慶応二(1866)年9月25日豊前城野新町で戦死。享年25歳。
礒野虎蔵(山口県下関市吉田・法専寺/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年8月豊前太貫山で負傷、9月28日死。享年22歳。
小川直八(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。萩浜崎町の商。慶応二(1866)年5月13日に入隊し、四境戦争(小倉口の戦い)に出征。6月17日隊士城石新次郎が敵の斥候を打ち留めた際小川に不始末があった。このため剃髪の上謹慎を命じられた。9月29日に病没。享年不明。
喜作(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊馬丁。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に従軍中病に罹り9月29日(10月5日・10月6日とも)馬関病院で没。享年不明。
一柳勇次郎(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
報国隊士。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に従軍し、10月4日、豊前国曽根で戦死。享年24歳。
梅村喜代三(山口県下関市・桜山招魂社)
伊崎町兵。好義隊とも。慶応二(1866)年10月4日豊前下曽根で戦死。享年36歳。
江本豊太郎((山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
長州藩士。報国隊士。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に従軍し、10月4日、豊前国曽根(企辺峠口方面徳力村とも)で負傷、同日下関で没。享年22歳。
河村徳三郎(山口県下関市小月・東行庵
長州藩士粟屋帯刀の家来。熊毛郡大河内の人。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に出征し、10月4日豊前蒲生村の戦いで負傷し、小月の吉田病院で没。享年16歳。
木原助太郎(山口県下関市・桜山招魂社)
遊撃隊士。慶応二(1866)年10月4日豊前狸峠で戦死。享年31歳。
中川源太郎(山口県下関市・本行寺/山口県山口市・朝日山護国神社)
八幡隊士。慶応二(1866)年10月4日蒲生村で戦死。享年不明。
福原林之助(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年10月4日豊前で負傷、5日下関で死。享年16歳。
若月健蔵(山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊士。慶応二(1866)年7月27日豊前赤坂で負傷、10月6日死。享年20歳。
渡辺幸助(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年10月4日豊前徳力村で負傷、19日死。享年17歳。
穴山一(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊。慶応二(1866)年7月27日豊前赤坂で負傷、10月20日下関で死。享年23歳。
原田義助(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。小倉出陣中の慶応二(1866)年10月23日病死。享年32歳。
縄田宝蔵(山口県厚狭郡・船木護国神社)
厚狭毛利家家臣。南十一大隊。慶応二(1866)年豊前曽根で負傷後10月29日(10月20日)没。享年22歳(19歳とも)。
見義市蔵(山口県下関市・桜山招魂社)
好義隊士。慶応二(1866)年10月4日豊前曽根村で負傷、11月15日死。享年24歳。
木原四郎(山口県下関市赤間町・本行寺〔上〕/山口県山口市・朝日山〔中〕/山口県下関市・桜山招魂社〔下〕)
八幡隊士。慶応二(1866)年12月18日豊前香春口で分捕雷管破裂のため傷死。享年不明。
山下豊吉(山口県下関市赤間町・本行寺〔上〕/山口県山口市・朝日山〔中〕/山口県下関市・桜山招魂社〔下〕)
八幡隊士。慶応二(1866)年12月18日豊前香春口で分捕雷管破裂のための負傷、馬関病院で死。享年不明。
大原新五郎(山口県下関市・桜山招魂社)
長府藩報国隊士。慶応二(1866)年小倉に戦うも発病して入院、しかし病院を抜け出してさらに出陣、再発して12月23日下関で病死。享年18歳。
上野熊吉(山口県下関市小月・東行庵)
正名団農兵。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に出征した。
武林二郎(山口県下関市小月・東行庵)
奇兵隊士。父とともに奇兵隊に入り、慶応二(1866)年、四境戦争(小倉口の戦い)に出征して豊前国小倉で負傷、のち豊浦で病没した。享年不明。
藤井嘉蔵(山口県下関市小月・東行庵)
正名団農兵。慶応二(1866)年、四境戦争(小倉口の戦い)に出征した。
藤田角太良(山口県下関市小月・東行庵)
正名団隊士(農兵)。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に従軍するも、まもなく病死。享年37歳。
松五郎(山口県下関市小月・東行庵/山口県下関市・桜山招魂社)
奇兵隊小使い。松次郎とも?。慶応二(1866)年四境戦争(小倉口の戦い)に従軍するも病に罹り馬関で没した。享年不明。
第一次長州征伐で一度は恭順の姿勢をとったものの、高杉晋作のクーデターで倒幕派として奇跡の復活。さらに慶応二(1866)年1月21日には薩長同盟が成立、武器購入の協力と長州征伐が実行された際の幕命不履行の約束を取り付けました。そして坂本龍馬率いる長崎の亀山社中を仲介として最新式の銃火器を購入、さらに洋式歩兵調練などで装備も練度も格段に向上したのです。
満を持して臨んだ四境戦争は長州軍の完勝となりますが、四境戦争(小倉口の戦い)では小倉藩家老島村志津摩さん率いる小倉藩士によって長期に渡るゲリラ戦を展開させられる羽目に陥り、最も被害を出した戦線になってしまいました。

しかしこうして写真並べてみると…ほっとんど桜山招魂場か東行庵のどっちかの写真になっちゃいましたね。桜山神社に最初に行ったのは2002年の調査のときですね。そのときはただただその数に圧倒されてましたよ。とにかく時間がなかったので主だった方だけにとどめて去りました。その後何度か訪れて、まぁ何とかこういう形で大勢の方をお招きできるようになりましたよ。東行庵も同様です。
慶応二年 第二次長州征伐〜四境戦争
小倉口