鬼善(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊附玄武隊士。生雲村の修験、順(遵)海坊。元治元(1864)年8月5日下関前田台場で戦死。享年18歳。
森脇三右衛門(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊士。元治元(1864)年8月6日下関前田台場で戦死。享年不明。
(福田弥太郎山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊士。元治元(1864)年8月6日下関前田台場で戦死。享年不明。
松江安右衛門(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊士。元治元(1864)年8月6日下関前田台場で戦死。享年不明。
藤田吉作(山口県下関市・桜山招魂場)
膺懲隊士。元治元(1864)年8月6日下関前田台場で戦死。享年17歳。
町田道之助(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊士。元治元(1864)年8月6日下関前田台場で戦死。享年不明。
斎藤千熊(山口県下関市・桜山招魂場)
膺懲隊士。元治元(1864)年8月6日下関前田台場で負傷。後に萩で死亡。享年21歳。
森重菊次郎(山口県下関市・桜山招魂場)
膺懲隊小頭。元治元(1864)年8月6日下関前田浜に上陸した仏兵を要撃、辻ノ堂山で戦死。享年22歳。
水津惣之助(山口県下関市・桜山招魂場)
膺懲隊士。元治元(1864)年8月6日下関前田台場で戦死。享年19歳。
正木泰蔵(山口県下関市・桜山招魂場)
膺懲隊士。元治元(1864)年8月6日下関前田台場で戦死。享年17歳。
土田蔵太(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊士。元治元(1864)年8月6日下関砲台で負傷、のち死亡。享年不明。
福田直右衛門(山口県下関市・桜山招魂場)
奇兵隊士。元円通寺家来。元治元(1864)年8月5日下関前田砲台で戦死。享年不明。
金山太郎熊(山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊士。元治元(1864)年8月6日下関前田台場で戦死。享年22歳。
喜多島保助(山口県下関市・桜山招魂場)
第四中隊隊士。元治元(1864)年8月6日下関で外艦隊砲戦、辻ノ堂で戦死。享年37歳。
末永勝之進(山口県下関市・桜山招魂場)
長府報国隊士。元治元(1864)年8月6日下関前田台場で戦死。享年30歳。
安本寅三(山口県長府市・大乗寺)
長府報国隊士。元治元(1864)年8月6日下関前田台場で戦死。享年不明。
桜山招魂場は下関の桜山神社境内の裏手に広がっています。2002年に第一次調査で基礎調査を実施、2003年には第二次調査で飽和撮影を行ってきました。2004年がたまたま下関戦争(四カ国連合艦隊下関砲撃事件)140年目ということで急遽作成した次第です。実際には本行寺・満行寺にも御墓があるということなので2004年の第4次下関調査の際に回ってみようと思います。
それにしても意外だったのは、元治元(1864)年8月5日・6日の両日にわたった連合艦隊と陸戦隊の攻撃で戦死した長州軍犠牲者が18名だということです(『幕末維新全殉難者名鑑』による)。世界最強の艦隊相手の戦闘にしては不敬ながら少なく感じてしまいました。それでも禁門の変でボロボロになっている長州藩には充分打撃だったんでしょうね。
唐人墓(福岡県北九州市・和布刈公園)
元治元(1864)年8月、禁門の変で大きな打撃を受けた長州藩に、さらに追い討ちをかけるように米英仏蘭四国連合艦隊17隻が下関に襲来、下関の砲台を根こそぎ破壊、占領した。この戦闘で連合軍は死者8名を出した。この碑はフランス軍戦死者を悼んだもので、碑文に曰く。「1864年9月5日、8日、下関の戦いにおけるセミラミス号とデュプレックス号両艦の戦死者を追憶して。冥福を祈りつつ。」
和布刈の塩水プールにはよく行きましたが、すぐ近くにこのような御墓があったとは最近まで知りませんでした。関門海峡をはさんで丁度真向かいの下関側には当時の大砲のレプリカが据えられておりまして、ひょっとしてまだ戦ってるの?って思ったりしました。
元治元年 下関戦争