出羽孫四郎(京都・霊山墓地)
長州藩士。福原越後勢。元治元(1864)年7月19日藤ノ森で傷、20日大坂桜宮淀川船中で自決。享年20歳。
今津卯三郎(京都・霊山墓地〔上〕/山口県下関市・桜山招魂場〔下〕)
奇兵隊士。元治元(1864)年7月19日藤ノ森で傷、20日大坂桜宮淀川船中で自決。享年20歳。
桂勝三郎(京都・霊山墓地)
長州藩士。桂小五郎の嗣子。福原越後勢。元治元(1864)年7月19日藤ノ森で負傷、大坂桜宮船中で自決。享年17歳。
佐方熊三郎(京都・霊山墓地)
長州藩士。元治元(1864)年7月19日禁門で負傷、大坂桜宮淀川船中で自決。享年20歳。
佐分利徳三郎(京都・霊山墓地〔上〕/山口県下関市・桜山招魂場〔下〕)
長州藩士。元治元(1864)年7月19日禁門で負傷、大坂桜宮淀川船中で自決。享年21歳。
高橋与三(京都・霊山墓地)
長州藩士。元治元(1864)年7月19日禁門で負傷、大坂桜宮淀川船中で自決。享年24歳。
田中誠輔(京都・霊山墓地)
長州藩八組士。かつて浦賀や兵庫に戌役し、元治元(1864)年6月藩家老福原越後に従い上京し、7月禁門の変に藤杜で負傷、大坂へ下る途中、淀川桜宮で幕兵の要撃にあい、高橋与三らと船中で切腹した。享年35歳。
藤田哲蔵(京都・霊山墓地)
福原越後家来。元治元(1864)年7月19日に負傷、20日大坂桜宮淀川船中で自決。享年42歳。
山田千吉(京都・霊山墓地)
長州藩士。福原越後勢。元治元(1864)年7月19日に負傷、大坂桜宮の淀川船中で自決。享年25歳。
山徳権之允(京都・霊山墓地〔上〕/山口県下関市・桜山招魂場〔下〕)
長州藩士。奇兵隊槍隊伍長。文久三(1863)年5月藩命を受け、波多野金吾に従って下関外船砲撃戦に参加し、6月奇兵隊に入隊して伍長となった。このころ大野毛利氏家臣松宮安平は村を脱出して入隊したが、その父が連座したことを聞き、帰村して捕えられた。権之允はこれを伝聞し、友義のため弁論して松宮を釈放させたことがあった。元治元(1864)年4月上京して藩邸に留まり、7月福原越後に従って伏見に行ったが、禁門の変に際して藤杜で奮戦中、銃丸を胸に受け、自ら喉を突いて死亡した。享年32歳。
和知金熊(京都・霊山墓地)
長州藩士。福原越後勢。元治元(1864)年7月19日に負傷、大坂桜宮淀川船中で自決。享年24歳。
吉竹卯吉(京都・霊山墓地)
元治元(1864)年7月19日の禁門の変で会津藩兵に捕えられ、7月27日六角獄で斬死。享年不明。
芥川小七(京都・霊山墓地)
集義隊士。元治元(1864)年7月19日の禁門の変で会津兵に捕えられ、7月27日六角獄で斬死。享年22歳。
有田三郎兵衛(京都・霊山墓地)
狙撃隊士。元治元(1864)年7月19日の禁門の変で会津兵に捕えられ、7月27日六角獄で斬死。享年23歳。
佐藤彦兵衛(京都・霊山墓地)
今田又四郎組大肝煎。元治元(1864)年7月23日江戸からの帰途草津で膳所藩兵に捕えられ、7月27日六角獄で斬死。享年31歳。
中村伝左衛門(京都・霊山墓地)
長州藩士。元治元(1864)年7月19日の禁門の変で洛西にて小浜藩兵に捕えられ、7月27日六角獄で斬死。享年43歳。
野田新太郎(京都・霊山墓地)
村田武兵衛組六尺。元治元(1864)年7月23日江戸からの帰途草津で膳所藩兵に捕えられ、7月27日六角獄で斬死。享年不明。
藤村与吉郎(京都・霊山墓地)
長州藩士。元治元(1864)年7月23日江戸からの帰途草津で膳所藩兵に捕えられ、7月27日六角獄で斬死。享年40歳。
山根亦七(京都・霊山墓地)
新六尺勘定方小使。元治元(1864)年7月23日江戸からの帰途草津で膳所藩兵に捕えられ、7月27日六角獄で斬死。享年不明。
村上義作(京都・霊山墓地)
遊撃隊士。村田とも。元治元(1864)年7月19日の禁門の変で負傷、8月7日三田尻病院で死亡。享年27歳。
松野頴(京都市・霊山墓地)
徳山藩士。久坂玄瑞勢。元治元(1864)年7月19日の禁門の変を戦い大坂川口で飯野藩兵に捕えられ、11月2日千日牢で斬殺。享年23歳。
藤井左次右衛門(京都・霊山墓地)
福原越後勢銃卒。元治元(1864)年7月19日大坂桜宮で捕えられ、11月9日千日牢で斬殺。享年43歳。
西村善次(京都・霊山墓地)
福原越後家来。元治元(1864)年7月19日砲隊嚮導として禁門に戦い、大坂桜宮で捕えられ、11月17日千日牢で斬殺。享年23歳。
藤本久右衛門(京都・霊山墓地)
福原越後勢農兵。元治元(1864)年7月19日夜大坂桜宮で捕えられ、12月5日千日牢で斬殺(獄死とも)。享年25歳。
藤井善九郎(京都・霊山墓地)
集義隊士。元治元(1864)年7月19日の禁門の変で負傷、逃れて大坂藩邸に入り、12月14日死去。享年不明。
三隈吉平(京都市・霊山墓地)
福原越後中間安兵衛倅。元治元(1864)年7月19日捕えられ、同年中大坂で獄死。享年23歳。
吉蔵(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
粟屋亦助小者。元治元(1864)年7月19日の禁門の変後大坂桜宮で捕えられ、10月9日千日牢で獄死。享年20歳。
忠太郎(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
宍戸久之進小者。元治元(1864)年7月19日大坂桜宮で捕えられ、10月4日千日牢で獄死。享年不明。
岩吉(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
市川孫七中間。元治元(1864)年7月19日の禁門の変後大坂桜宮で捕えられ、9月10日(14日とも)千日牢で獄死。享年30歳。
兼太郎(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
長州藩士浦忠三郎小者。元治元(1864)年7月19日大坂で捕えられ、11月15日千日牢で獄死。享年18歳。
総次郎(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
元治元(1864)年7月19日醍醐辺で捕えられ、9月6日千日牢で病死。享年27歳。
松宮震一(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
元治元(1864)年7月19日の禁門の変後大坂川口で尼崎藩兵に捕えられ、12月16日千日牢で獄死。。享年不明。
田中荘蔵(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
福原越後勢農兵。元治元(1864)年7月19日の禁門の変後大坂川口で捕えられ、10月8日千日牢で獄死。享年45歳。
正木滝蔵(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
厚狭郡宇部村の人。福原越後家来。元治元(1864)年7月19日禁門で負傷、大坂で幕兵に捕えられ、11月19日千日牢で獄死。享年28歳。
河内弥四郎(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
福原越後中間。元治元(1864)年7月20日大坂川口で捕えられ、12月24日千日牢で獄死。享年33歳。
徳富新太郎(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
福原越後勢銃卒。元治元(1864)年7月大坂桜宮で捕えられ、9月22日千日牢で獄死。享年19歳
森田吉次郎(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
京都作事方小使。元治元(1864)年7月19日の禁門の変後西走、大坂三河屋万蔵店頭で捕えられ、9月15日千日牢で獄死。享年不明。
兼安栄蔵(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
福原越後中間。元治元(1864)年7月20日大坂桜宮で高松藩兵に捕えられ、10月25日千日牢で獄死。享年不明。
高橋荘三郎(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
元治元(1864)年7月19日の禁門の変後大坂で捕えられ、11月21日千日牢で獄死。享年不明。
松本松蔵(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
白井良三家来。元治元(1864)年7月19日の禁門の変後大坂川口で尼崎藩兵に捕えられ、12月16日千日牢で病死。享年21歳。
須子吉次郎(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
遠近付士。元治元(1864)年6月上京。病気のため7月19日の戦には出ず。傷病兵一同舟で淀川を下り大坂桜宮で就縛。11月3日千日牢で斬殺。享年30歳。
景山勝三郎(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
遠近付士。福原勢。元治元(1864)年7月19日夜大坂桜宮で高松藩兵に捕えられ、11月3日千日牢で斬殺。享年24歳。
粟屋亦助(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
遠近付士。福原越後勢。元治元(1864)年7月19日の禁門の変では藤ノ森で負傷。大坂桜宮で高松藩兵に就縛され、11月4日千日牢で斬殺。享年30歳。
上田亀之進(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
長州藩士。元治元(1864)年7月19日の禁門の変を戦い、大坂淀川船中で自殺に失敗、高松藩兵に捕えられ7月29日千日牢で獄死。享年31歳。
宍戸久之進(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
福原越後勢。元治元(1864)年7月19日の禁門の変で負傷、大坂淀川舟中で高松藩兵に捕えられ、7月26日千日牢で獄死。享年19歳。
市川孫七(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
無給通士。福原越後勢。元治元(1864)年7月20日大坂桜宮で捕えられ、11月3日千日牢で斬殺。享年33歳。
吉井千代熊(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
長州藩士。福原越後勢。元治元(1864)年7月19日の禁門の変で負傷、大坂桜宮で就縛。11月3日千日牢で獄死。享年26歳。
江津甲之進(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
遠近付士。福原越後勢。元治元(1864)年7月19日の禁門の変で戦い、9月大坂桜宮で就縛。11月13日千日牢で斬殺。享年30歳。
高橋武熊(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
鴻城隊士。元治元(1864)年7月19日の禁門の変後帰国、近畿探索のため再上京途中、備後鞆で福山藩兵に捕えられ、12月7日大坂で獄死。享年不明。
水井精一(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
長州藩足軽、義勇隊士。元治元(1864)年2月、周防熊毛郡別府浦に来泊した薩摩船を外国交易の疑いで焼き、船主大谷仲之進を殺害。累が藩に及ぶのを恐れ、26日大坂東本願寺別院前に大谷の首を梟して自刃。享年32歳。
山本文之助(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
来栖源兵衛組竹内正兵衛手付。元治元(1864)年7月19日の禁門の変で戦い西走、尼崎北番所で尼崎藩兵に囲まれ「残念」と絶叫して自刃。享年29歳。
今井平蔵(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
桂勝三郎家来。元治元(1864)年7月20日大坂桜宮で捕えられ、12月16日千日牢で獄死。享年25歳。
藤井駒吉(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
元治元(1864)年7月19日の禁門の変後大坂で捕えられ、11月7日千日獄で死去。享年41歳。
井原繁三郎(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
岩国藩卒。元治元(1864)年7月飛脚として江戸へ行く途中大坂で捕えられ、12月1日千日牢で獄死。享年38歳。
上田梅次郎(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
福原越後勢農兵。元治元(1864)年7月19日の禁門の変で戦い大坂桜宮で捕えられ、9月28日千日牢で獄死。享年22歳。
林政右衛門(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
長福原越後勢銃卒。元治元(1864)年7月19日の禁門の変後大坂桜宮で捕えられ、10月8日千日牢で獄死。享年38歳。
林政之進(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
長州藩士。福原越後勢。元治元(1864)年7月大坂桜宮で捕えられ、9月23日千日牢で獄死。享年不明。
三隅芳兵衛(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
福原越後勢農兵。元治元(1864)年7月19日の禁門の変で負傷、大坂桜宮で津山藩兵に捕えられ、9月23日千日牢で獄死。享年不明。
秋本作兵衛(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
福原越後勢農兵。元治元(1864)年7月19日の禁門の変で負傷、大坂桜宮で捕縛、10月12日千日牢で獄死。享年28(45とも)歳。
中村庄七(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
福原越後勢農兵。元治元(1864)年7月19日の禁門の変後大坂桜宮で捕えられ、10月4日千日牢で獄死。享年不明。
藤井勇治(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
福原越後勢農兵。元治元(1864)年7月19日の禁門の変後大坂桜宮で捕えられ、10月13日千日牢で獄死。享年41歳
佐太郎(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
当島村の農。元治元(1864)年7月19日の禁門の変後大坂桜宮で捕えられ、同年中獄死。享年22歳。
三吉(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
長州藩士須子吉次郎小者。元治元(1864)年7月19日禁門で戦い、大坂桜宮で高松藩兵に捕えられ、11月15日千日牢で病死。享年25歳。
勝平(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
山田千吉中間。元治元(1864)年7月19日大坂で捕えられ、10月4日千日牢で獄死。享年19歳。
清次(大阪市天王寺・阿倍野墓地)
益田右衛門介中間。元治元(1864)年7月大坂桜宮で高松藩兵によって捕えられ、9月14日千日牢で獄死。享年32歳。
正直桂小五郎さんに嗣子がいて、しかもこの戦で亡くなってるなんて初めて知りました。年齢から判断して養子なんでしょうけど…大阪の阿倍野墓地にある招魂碑は元々大江社にあったものが移転されたものです。資料によってはこの移転のことが記載されてないので、無駄足を踏むことになりかねないですね(いや、私は大丈夫でしたよ♪)。広い墓地なので最初はどうなることかと思いましたが、その不安は見事的中しました…だって奥の方にあるんですから…この招魂碑もとりあえず撮ったというだけで、資料が手に入るまでじっと堪えてもらう結果となってしまいました。
元治元年 禁門の変 残兵掃討