久坂玄機(山口県萩市・護国山)
萩藩医。玄瑞は弟。家は代々医をもって萩藩に仕え、玄機は若い頃から医業の傍ら蘭学を学び、長崎に行き、ついで弘化四(1847)年大坂に行き緒方洪庵の客分として塾頭を務め、5月藩命によって銃陣の原書「ヘロトン」を翻訳した。その間近畿諸国の間を往来し、また周防国玖珂郡遠崎妙円寺の月性とは最も親友であった。嘉永二(1849)年萩の南苑医学所の制度改正に都講役に召還され、10月青木周弼・赤川玄悦(又太郎)と共に初めて藩内種痘実施の主任となった。嘉永三(1850)年6月好生館と改称の時も都講役兼書物方となり、8月開館式に藩主に蘭書を進講した。安政元(1854)年外艦来航に幕府から海防策を依頼され、病中をおし対策数万言を草して上申したが、安政元(1854)年2月27日病死した。享年35歳。
安政元年