もへい様寄贈
調所広郷(鹿児島県鹿児島市・旧福昌寺境内〔上〕/東京都世田谷区・浄真寺〔下〕)
15歳のとき茶道勤となり、のち江戸詰となって前藩主島津重豪付の茶道方となった。重豪および藩主斉興の信頼を受け、累進して御側御用人・御側役勤を経て家老にあげられた。文政十(1827)年重豪・斉興の命を受け藩財政改革の主任を命ぜられた。主な改革は、(一)大島・喜界島・徳之島三島砂糖の惣買入、(二)藩債五百万両の無利子250年賦償還、(三)琉球との密貿易、(四)米・菜種子・薬種櫨蝋・琉球鬱金・朱粉等の増産と品質向上、これらの改革はその手腕と努力によって成功し天保十一(1840)年頃には諸営繕用途二百万両および藩庫金五十万両を貯蓄し、この財源によって:多くの土木建築事業を行った。嘉永元(1848)年12月18日桜田藩邸で急死した。享年73歳。唐物抜荷につき幕府の沙汰を受けた結果の自殺と伝えられるが、真相は不明である。後文久二(1862)年遺族に追罰が加えられ、家格を格下げし、家禄・屋敷を没収された。
嘉永元年